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楽しみ方

無量寿院のお参りの記録(1回目)
兵庫県播磨町駅

投稿日:2026年03月25日(水) 12時26分06秒
参拝:2026年3月吉日
3
🪷播磨無量壽院と大和長谷寺と稽主勲 

先日、播磨郷土資料館 水野館長様と播磨町古宮(こみや)古宮薬師堂宮本総代様 のご配慮により、古宮薬師堂を内覧させて頂けました。
薬師如来坐像や祀られている仏像と
播磨無量壽院様、高野山真言宗ついて色々なお話もお聞かせ頂きました。
年度末のお忙しい中、貴重なお時間を頂きましたこと、
また薬師如来坐像の素晴らしさに涙がでました。
播磨町のお二人に深く感謝致します。
ありがとうございました🪷🙏✨

#光明遍照山無量壽院(大寺)

山号  光明遍照山 
院号  無量壽院 
寺号  高禅寺 
宗派  高野山真言宗 
御本尊 #無量壽如来(阿弥陀仏七世紀中頃の作)
開基  弘法大師(空海 774~835年)
再興  覚鑁上人(1095~1143年)

由 来
当寺は、高野山無量壽院の末寺で光明遍照山と称し、真言宗。
境内五丁(約545米)四方あり、竹藪や木が繁茂していた。
本堂七間三尺四方(寛文年間 1661~1672年建立)、
大師堂四間四方(現本堂、元禄七年1694建立)、
護摩堂三間 四方、多宝塔二重一間三尺、鐘楼堂、十王堂表裏、鎮守天満天神辨才天女御社、薬師堂、両 門などの伽藍が配置され、真言密教道場で末寺五十三か寺を有し、通称大寺と呼ばれ親しまれていた。

本尊無量壽如来は、人皇三十七代孝徳天皇の御代(七世紀中頃、大化の改新の直後)に 
高羅の仏工 稽主勲の作 であるといわれる。

播磨国明石郡西嶋村 今井六郎右衛門の家に伝わるこの尊像が一夕の夢に岩光に行きたいと度々言ったので、六郎右衛門はついに尊像を背負って岩光村に移した。
ここは人皇五十二代嵯峨天皇の弘仁年(810~824年)に 弘法大師が播磨国に修歴のときに立寄った所で、老松茂り岩は苔むし、森林中に忽然と 光明を放つ岩があり、この霊験によって大師がここに草庵を作った。これよりこの地を岩光と云うようになり、後に野添と改められた。

覚鑁上人(かくばんしょうにん)
大師が草庵をつくって以来、この地は久しく荒れていた。後、覚錢上人(興教大師)がこの地に来て、昔の霊異を聞き伝え、康和五年(一一〇三)梵宇を修造し、光明遍照山無量壽院と言うようになった。
それより後、ますます法灯繁茂して此寺は真言密教の談議所、灌頂修行の道場となる。この結果元和年中(1615~1624年)徳川幕府より三十石の御朱印地の他播磨国姫路の城主酒井雅楽頭より五石の墨印地を賜わり大寺にとって安定した収入源となった。

明治維新は寺社にとって大変な激動期となり、
高野山では寺領二万一、三○○石を奉還した。
大寺にとっても例外でなく、朱印地と呼ばれた田畑(村年貢からの除外地で藩政の うえで手厚い保護を受けてきた寺領)を奉還したうえ、多くの末寺を失い、他寺と比較に ならない深刻な痛手となった。
苦境期の大寺は寺院合併による檀家の吸収、伽藍の売却という非常手段をとらざるを得なかった。末寺の吸収あるいは合併では明治八年慈眼寺 (野添)吸収に始まり、明治四十三年(1910年) 東円寺(野添)合併契約の成立によって完了し、願満寺(古宮)常光坊(東二見) さらに東円寺の檀家のすべてを大寺に
組入れられた。
以降本堂別棟の新築及び客殿、庫裡、位牌堂の
新築そして平成十三年開始の本堂の大修理を経て
現在に至る。

🪷本尊無量壽如来の制作年代
当院所蔵の坂木に刻まれている級十七行三七九文字の本尊縁起に よると人皇三十七代孝徳天皇の御代と伝えているが、一方、仏像専門家 の鑑定では本尊が玉眼であることや、彫刻の仕様からみて鎌倉時代後期(十三世紀~十四世紀)の作である推定されている。

高麗の仏工 稽主勲(けいしゅくん)
主勲と父缩文勲及び兄文会らは飛鳥時代の名工と伝えられ多くの名作を残した。
(大和長谷寺の開山 徳道上人の発見した霊木で、時の名仏師である稽文会(けいもんえ)と稽主勲(けいしゅくん)に命じて十一面観音を造立」の 稽主勲です🙏)
唐から渡来して河内国春日色 (太子町春日)に住み、春日とも呼ばれていた。

白旗観音寺(尾上町池田)、美仙寺(高砂)、
常光寺(神野)の各本尊の他、月照寺(明石市人丸町)にも春日とされる仏像がある。

🪷三界萬霊地蔵尊 
寛保3年(1743年)に東本庄村庄屋
梅谷七右衛門清政が、亡き妻の追善供養のために
建立したものです。
この地蔵尊は、石造地蔵尊としては他にあまり例を見ない足を崩した半跏趺坐に特色がみられます。
特に如意輪観音にみられるような右手の掌を
直接頬につけたものは、さらに例を見ることが少ないです。郷土の偉人、梅谷七右衛門清政建立による
貴重な建造物であり歴史資料です。

野副と岩光
野副(野添)の前時代は「岩光」であった。
岩光からとった大寺の「光明」 遍照山、
円満寺の巖(岩)光山、野添の領主同附三良の別名
岩光三良等が あるが、何時から「のぞえ」と呼び、野添と書くようになったか不明 当寺に伝わる縁起文には野添と書かれていることから考えて併用時代を経て野添に統一されたと推察される。

覚録上人(西暦1095年~1143年)
真言宗中興の高僧、高野山に大伝法院を建立。
その他高野山で様々な 改革を断行し四〇歳で
高野山の最高責任者である金剛峰寺座主に就任したが、衆徒と相容れず根来寺(紀州)に下り新義真言宗を開いた。

覚覆上人を中興とする大寺は長らく新義派に属していたが、寺記によると第一〇世真玄師(正保三年寂)の代以来 古義真言宗に変った。

談議所
大寺は近世以前から高野山真言教団の伝法組織の要である播磨国 古義真言宗談議所としての役割を持っていて多くの末寺僧を集めて 法要式や伝法液頂を盛んに行ってきた。

伝法灌頂
出家、つまり密教の行者である僧侶だけが授かる頂である。僧侶が 人間界での指導者たる同閣梨になるために、大日如来の秘法を授かる 儀式。
厳しい修行を積み、師が資格を認めた者だけが受けられる、真言宗最高の秘儀である。

寺領三五石(朱印地三○石、墨印地五石)
江戸幕府から将軍名の朱印判を押した朱印状を交付され育祖の要らない寺社領として公認された田畑、山林を言い、各藩によって寺社領として認められる墨印地と区別される。

明治四年(西暦1871年)の上知令によって
返上を余儀なくされた。

上知(上地)
明治二年(西曆1869年)版籍奉還の実施に際して行なわれた上知は、封建的な土地所有関係を無くすため百姓には地券を与えることを 条件に全国的に行なわれた。この上地の結果二〇〇余年にわたって大寺 に認められてきた朱印地三十石の特権が失われた。

阿閉の里(町制施行二十周年記念誌)

参考図書
岩光(播磨町野添土地区画整理事業完工誌)
編集 播磨町町史編集委員会
無量寿院(大寺)の歴史 著者 藤原年春
編集 播磨町野添土地区画整理事業完工誌編集委員会
無量寿院(兵庫県)
無量寿院(兵庫県)
無量寿院(兵庫県)
無量寿院(兵庫県)
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無量寿院(兵庫県)
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無量寿院(兵庫県)
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無量寿院(兵庫県)
無量寿院(兵庫県)
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御本堂へ
無量寿院(兵庫県)
無量寿院(兵庫県)
無量寿院(兵庫県)
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無量寿院(兵庫県)
無量寿院(兵庫県)
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無量寿院(兵庫県)
無量寿院(兵庫県)
無量寿院(兵庫県)
無量寿院(兵庫県)

すてき

みんなのコメント3件)

くるくるきよせんくるくるきよせんホトカミサポーター

四季さん こんばんは。
モクレンきれいですねぇ。
いきなり引き付けられました。
こんなに立派なお寺が未登録だったんですか。
驚きです。
境内の古い石仏さんが歴史を伝えてくださっていますね。
きっとお堂の仏様も素敵だったでしょうね。
私の不勉強なのですが 新四国八十八か所霊場って 何種類かありませんか?
ご存じだったら教えてくださいね。

2026年03月25日(水) 18時43分50秒

くるくるきよせんさま🪷🙏✨

こんばんは♡ ご無沙汰ばかりですみません
お疲れ様でした♪

鷹多花という博多ラーメン🍜を食べに行き偶然に多木化学の多木粂次郎(うの子)氏のお墓を見て驚愕したのが始まりでした。
以前から思っていましたが、加古郡など兵庫県の◯◯郡は凄く裕福ですよね。
こちら無量壽院様も檀家さまが800軒以上とか?との情報もあり、御朱印はなされていないとのことでした。播州特に福崎町、播磨町•稲美町は本当にあまり知られていない神社仏閣の宝庫のような気がしますが、地域の方々が豊かで自治体がしっかりされている印象を受けます。
予習はして参りましたが想像を超えていて、まだ整理ができない状態です。
国重要文化財等のお話もあるようでしたが。

新四国に関してですが、いくつどちらにあるか把握しておらず、不勉強ですみません。本西国と準西国のように、四国霊場巡礼が厳しく、檀信徒さまの多い地域に作られた八十八ヶ所ではないかと想像しています。
昨年お友達になった方が、「三方谷八十八ヶ所(宍粟市)」を丁寧に巡礼されておられます。私的に、新四国と同じ意味と思っていました。的確なお答えができず申し訳ございません。

2026年03月25日(水) 21時25分40秒
くるくるきよせんくるくるきよせんホトカミサポーター

四季さん こんばんは。
ご無沙汰だなんて そんなことないですよ。
何度もコメントのやりとりをさせていただいていて 感謝しております。
今回もご無理申し上げていて 申し訳ないぐらいです。
新四国八十八霊場は けっこうたくさんありますね。
さっきネットで調べてみましたら 関東にもみられ 各地で四国八十八か所巡りを模して大切にされているようですね。
言い換えればそれだけ四国八十八霊場巡りがそれほど影響を与えているのでしょうか。
檀信徒様のご信仰心があってのこと。
日本って本当に素晴らしいと思いました。
貴重な情報ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。

2026年03月25日(水) 23時08分29秒
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