おうぞうじ
横蔵寺のお参りの記録一覧
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横蔵寺(おうぞうじ)
~横負いの観音さまとトキワマンサク~
山号 道林山
宗派 曹洞宗
御本尊 十一面千手千眼観世音菩薩
(秘仏は、25年毎公開)
2025年
創建年 白雉四(653)年
開基 法道仙人
札所等
加古郡西国三十三ヶ所観音霊場 第16番
播磨西国観音霊場 第29番
御詠歌
おうぞうじ ゆきのまつばら みわたせば
つるのはやしの ここちこそすれ
白雉年間(653年) 法道仙人 により開基。光孝天皇(五十八代)の祈願所となり、宇多天皇(五十九代)が譲位の後、出家して寛平法皇となってからは、法皇の潜邸として栄えました。
境内に古い土塀や堀の一部が残る「横蔵寺」は、別所頼清(別所氏の祖)の末裔(野口厚躬)が居城していた横蔵城跡に立っています。
広大な寺領を誇っていましたが次第に衰退し、天正六年(1578年)羽柴秀吉による三木城攻めの際、伽藍諸坊ことごとく炎上し、一堂一坊を残すのみとなりました。この時、御本尊である観音は空中を飛んで水葦村に難を逃れたとの伝承があります。
また、唯一残った観音堂には、鎌倉時代を代表する仏師・運慶が左半分、息子の湛慶(たんけい)が右半分を彫って合わせたと伝えられている十一面千手千眼観世音菩薩が本尊として祭られ、今も民話「横負いの観音さま」として地域の人たちに語り継がれています。
元禄年間(1688-1704) 姫路市景福方然室尖廊和尚の開山として、真言宗から曹洞宗(大本山永平寺、大本山總持寺)に改宗されました。
~境内一帯に広がる回遊式庭園で、聞いて癒され、回して招福を~
蓮の花や獅子などが彫られた立派な山門をくぐると、生い茂る木々の間から観音堂が見えてきます。
参道の右手には石棺で作られた手洗い場、左手には手入れの行き届いた日本庭園が広がっています。その一角には水琴窟があり、水を垂らすと地中から聞こえる優しい音色に身も心もほっこり。隣にはなぜか七福神が刻まれた石球を背中に乗せた亀の石像が。「石球を回すと福がまわって来る」と聞いて、招福を期待しながら少し多めに回し、幸せな気分で庭園を後にしました。
山門 御本堂 観音堂 地蔵堂 弁天堂 横蔵城跡
横蔵寺十八世俊英御住職は、大本山總持寺で修行されたのち、平成27年11月に晋山式(しんさんしき)をなされました。扁額揮毫(寶雲閣)も素晴らしく。
昨年秋にご住職にご拝顔叶い、お優しく色々なことを教えて下さいました。
今回はご住職が法務でお留守で、先代ご夫妻に大変ご親切にして頂きました。
ありがとうございました。
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加古川市平岡町新在家900
0794240345
トキワマンサク 花言葉
『私から愛したい』『霊感』『おまじない』 トキワマンサクは、白や濃いピンク色の花を咲かせます。特にピンクは、恋愛を象徴する色であることから、「私から愛したい」という花言葉が付けられました。 「霊感」「おまじない」といった花言葉は、同属に分類されるマンサクと同じものです。アメリカ先住民がマンサクの枝を使って占いをしていたことや、東北地方にマンサクの花の咲きから農作物のでき具合を占っていたそうです。
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横蔵寺(おうぞうじ)
~横負いの観音さまと彼岸花~
山号 道林山
宗派 曹洞宗
御本尊 十一面千手千眼観世音菩薩(非公開)
創建年 白雉四(653)年間
開基 法道仙人
札所等
播磨西国観音霊場 第29番
御詠歌
おうぞうじ ゆきのまつばら みわたせば
つるのはやしの ここちこそすれ
境内に古い土塀や堀の一部が残る「横蔵寺」は、別所頼清(別所氏の祖)の末裔(野口厚躬)が居城していた横蔵城跡に立っています。
伽藍や坊は、秀吉による三木城攻めの際に炎上。
唯一残った観音堂には、鎌倉時代からの仏師・運慶が左半分、息子の湛慶(たんけい)が右半分を彫って合わせたと伝えられている十一面千手千眼観世音菩薩が本尊として祭られ、今も民話「横負いの観音さま」として地域の人たちに語り継がれています。
~境内一帯に広がる回遊式庭園で
聞いて癒され、回して招福を~
蓮の花や獅子などが彫られた立派な山門をくぐると、生い茂る木々の間から観音堂が見えてきます。
参道の右手には石棺で作られた手洗い場、左手には手入れの行き届いた日本庭園が広がっています。その一角には水琴窟があり、水を垂らすと地中から聞こえる優しい音色に身も心もほっこり。隣にはなぜか七福神が刻まれた石球を背中に乗せた亀の石像が。「石球を回すと福がまわって来る」と聞いて、招福を期待しながら少し多めに回し、幸せな気分で庭園を後にしました。
元禄年間、真言宗より曹洞宗に改宗されました。
仏像
十一面千手千眼観音像
運慶・湛慶子安地蔵菩薩像 阿弥陀如来坐像 法道仙人像
毘沙門天像 増長天像 持国天像
弁財天像 イボ取り地蔵石像
山門 御本堂 観音堂 地蔵堂 弁天堂 横蔵城跡
横蔵十八世俊英ご住職は、総持寺で修行されたのち、平成27年11月に晋山式(しんさんしき)をなされたとのことです。
扁額揮毫も素晴らしく。
大変お優しくて色々なことを教えて下さり、
冊子や美しい播磨西国散華も下さいました。
またお参りさせて下さい。
ありがとうございました。
加古川市平岡町新在家900
0794240345
鐘楼堂
鐘楼
民話「横負いの観音さま」
右) 子どもの石棺で作られた水盤。
手洗い場となっています
ミニミニ松ぼっくり
動物供養塔
播磨西国第二十九番 横蔵寺御朱印
播磨西国 散華
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曹洞宗 道林寺 横蔵寺
白雉年間(西暦653年)法道仙人により開基となっています。
とても歴史のあるお寺です。
ご本尊の十一面千手千眼観世音菩薩は25年おきに御開帳とのことで、次回は2025年となっていました。
ぜひ拝見したいところですが、覚えているかな・・・
御朱印は寺務所のほうでインターホンを押すと対応いただけました。
山門前の池
山門
山門の彫刻
山門右側の扉に施された彫刻
山門左側の扉に施された彫刻
本堂
手水舎
観音堂
ご本尊の十一面千手千眼観世音菩薩が安置されているそうで、次回御開帳は2025年5月頃となっていました。
書いてあるままに、観音様めぐりをしました。
32番と33番が見えるところになくて、探すのに苦労しました。
水子地蔵尊
鐘楼
摩尼転七福神
亀の甲羅の上の球に七福神が刻まれており、廻しながら祈願するとのこと。
![TK4](https://minimized.hotokami.jp/DEViV0P9qIvp6RhptEh_dT9_QQRmCPdjZdfcRZYen5k/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20220613-011124_Cpf0FAtlOe.jpg@webp)
加古川市にある横蔵寺さんに参拝に行ってきました。
ご住職は不在でしたが奥様が対応してくださり、直書きにて御朱印を拝受しました。
観音堂
山門
石碑
地蔵尊
手水舎
石碑
ご本尊像
詠歌 御朱印
本堂
御朱印
由緒書き
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