はくうんしゃ
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楽しみ方白雲社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年12月10日(水) 23時00分01秒
参拝:2025年11月吉日
JR明石駅の南側、国道2号線から一本南の細い道をぶらぶら歩いていると、「史蹟 白雲桜の碑」と書かれた看板があり、何だろう?と思いながらそちらへ進むと小さな神社がありました。
神社や御祭神の御由緒はよくわからなかったのですが、境内にある石碑には下記のように記されていました。
「白雲社由来」
明石城 外堀に面した一角の武家屋敷、五十嵐三右衛門の裏庭に大きな垂絲桜があり、花がまるで白雲たなびくように美しかったので、白雲の桜と呼ばれ名所となった。
明石藩主松平直明公の句に、
幾千枝の柳の兄や絲さくら
と読まれて、春には多くの人が見物にくるほど美しかったそうな。
その桜にちなんで一帯は桜の町とよばれるようになり、桜町の町名の由来にもなっている。
明治維新の激しい変革の中、外堀を埋める造成工事が行われたが、この地周辺は、魚住又市朗氏が請負、そのさい魚住氏は五十嵐家に伝わる四代目の桜の老大木を惜しみ現代の地に移しかえ保存された。
石碑等はこれを祈念して建てられた。 その後、台風で倒れ枯死して今ある桜は五代目の樹である。
神社や御祭神の御由緒はよくわからなかったのですが、境内にある石碑には下記のように記されていました。
「白雲社由来」
明石城 外堀に面した一角の武家屋敷、五十嵐三右衛門の裏庭に大きな垂絲桜があり、花がまるで白雲たなびくように美しかったので、白雲の桜と呼ばれ名所となった。
明石藩主松平直明公の句に、
幾千枝の柳の兄や絲さくら
と読まれて、春には多くの人が見物にくるほど美しかったそうな。
その桜にちなんで一帯は桜の町とよばれるようになり、桜町の町名の由来にもなっている。
明治維新の激しい変革の中、外堀を埋める造成工事が行われたが、この地周辺は、魚住又市朗氏が請負、そのさい魚住氏は五十嵐家に伝わる四代目の桜の老大木を惜しみ現代の地に移しかえ保存された。
石碑等はこれを祈念して建てられた。 その後、台風で倒れ枯死して今ある桜は五代目の樹である。
すてき
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