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兵庫県明石市にある神社です。
先日紹介した稲爪神社の境外摂社にあたります。
稲爪神社さんからJRと山陽電鉄を越えて北の住宅街の中にあります。
まず鳥居をくぐると思ったら 上の部分が落ちてしまっているようです。
でもまあ 由緒書もあるので こういう鳥居もあったような気もして階段を上がります。
悲しいことに 境内がずいぶん荒れています。
本堂も摂社もあるのですが 中には完全に崩れてしまっているものもあります。
本堂にしめ縄があるので どなたかが管理されているのでしょうが 経営難なのでしょうか。
祭神は伊弉諾の神・伊弉冉の神です。
由緒書には
天正六年(1578)織田信長家臣高山右近播州進攻の時 大蔵谷城攻略の砌 橋爪神社がその兵火を罹り焼失 この地にその小祠を建て橋爪神社を仮に祭った。
その後寛永十四年(1637)橋爪神社が再建したので遷御の後 この小祠へ同年四月十九日時の明石城主松平丹波守光重が紀州熊野三社権現(熊野坐神社 熊野那智神社 熊野速玉神社)を勧請創立す。
とありました。
少し悲しい鳥居
由緒書
社標らしきもの
拝殿
狛犬は新しいもののようです
拝殿というか本殿
高倉大明神
荒熊大神
狛犬は傾き
摂社は崩れ
石碑のみ残る 白龍弁財天
熊野皇大神社
~子午線の町・哀荒廃熊野神社~
御祭神 伊邪那岐命
伊邪那美命
創立 寛永十四年(1637)四月十九日
例祭日 四月十九日
境内社 白龍神社
高倉大明神
稲荷社(最上大神、小森大神、杉大神、
荒熊大神、松尾大神、三岳大神)
御由緒
天正六年(1578) 織田信長家臣 高山右近 播州進攻の時、大蔵谷城攻略の砌、橋爪神社がその兵火を罹り焼失、この地にその小祠を建て橋爪神社を仮に祭った。 その後寛永十四年(1637)橋爪神社が再建したので遷御の後、この小祠へ同年四月十九日 時の明石城主 松平丹波守光重公が 紀州熊野三社権現(熊野坐神社 熊野那智神社 熊野速玉神社)を勧請創立す。
(境内 熊野皇大神社略記より)
稲爪神社境外摂社で、ネットで荒廃が進んでいることを知り、信じがたくお参りさせて頂きました。
ひっそりと小高い丘の上にありました。
別の式内社神職さまより、兵庫県の宮司さまで最大は60社以上お持ちとのことを伺い、ご事情もおありかと、子午線塔を眺めながら記録させて頂くことにしました。
子午線
中国では、古い時代から方位や時刻を十二支で表わしました。
方位については、真北を「子(ね)」、真南を「午(うま)」と呼びました。
子午線とは「子」と「午」の方角、真北と真南を結んだ線という意味です。したがい、子午線は、任意の地点を通る南北線のことです。
瀬戸内から日本海にこの子午線が通ります。
一般的に、明石を「子午線のまち」と呼びます。
それは「日本標準時の基準となる東経135度子午線上のまち」という意味だそうです。
明石市東人丸町6―6
稲爪神社 御朱印
境外摂社ということで拝受しました。
熊野皇大神社の御朱印はないとのことです。
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