ちょうりんじ|天台宗|龍王山
長林寺のお参りの記録一覧
久しぶりに明石漁港近辺を巡ってみました。
広くない地域に 寺社が結構たくさんあるのです。
まずは長林寺。
山号は龍王山 宗旨宗派は天台宗 ご本尊は薬師如来 です。
境内に入る門扉がもともと閉まっていたようですが この時は開いていて境内に入ることができました。
本堂に続く道はきれいに整備されているのですが お庭がとても残念な状態でした。
石碑などがあるにはあるのですが 背の高い雑草に埋もれてしまって よく分かりませんでした。
これ以上進んではいけない気がしましたので 本堂の外から手を合わせるにとどめました。
ネット情報だと
霊亀年中(715~716年)藤原鎌足の孫 藤原宇合により建立され 元正天皇の勅願所となる。
本尊は薬師如来であるが 寺伝によると文武天皇の時代(683~707年)行基がこの浜辺の松の梢に七体の薬師如来が現れたので その木で七体の仏像を彫刻した。
その一体がこの本尊の薬師如来だという。
とありました。
開いていたので入ったのですが 入ったとたんに風で閉まりました 恐ろしや
松が立派なようなのですが。。
立派な本堂はあります
石碑らしきものが見えるのですが。。
長林寺
播州薬師霊場 厳しい現実の札所
山号 龍王山
御本尊 薬師如来(播州薬師霊場)
十一面観世音菩薩(明石西国)
宗派 天台宗
開基 行基菩薩
建立 霊亀年間(715~716)
札所等
明石西国三十三箇所 第三十二番
御詠歌
いつまでも たのみをかくる 長林寺
松も久しき みのりきくらん
播州薬師霊場 第六番
御詠歌
いつまでも たのみをかくる長林寺
松も久しき みのりきくらん
御縁起
霊亀年中(715~716)に藤原鎌足の孫、
宇合により建立され、元正天皇の勅願所となる。
御本尊は薬師如来であるが、文武天皇の時代(683-707)その薬師如来は行基菩薩が浜辺の松の梢に七体の薬師如来が顕われたので、その松で七体の仏像を彫刻した。その一体がこの薬師如来だという。
もと塔頭には、泉蔵坊、藤本坊、地蔵坊、蔵本坊の四坊があったが、現在の地はそのうちの蔵本坊にあたる。
御本堂
古くは4つの塔頭を持ち、姫路の書写山圓教寺から本堂・客殿・庫裡などが移築されていたが
、応仁の乱(1467-1716)の兵火につつまれ、
江戸時代の正徳年間(1711-1716)再興。
しかし、昭和二十年七月、先の大戦の大空襲で書写山圓教寺から移築された御本堂、客殿、庫裡等を焼失、昭和二十四年再度現在の姿に復興された。 境内を巡るように石仏の観音霊場がある。
龍燈の松
残念ながら寺の前に書かれている天然記念物に指定されていた龍燈の松は枯れて今は無く現在のものは2代目だそうです。
寺伝によると霊亀2(716)年頃、龍神が本尊薬師如来の霊験に感じ入ってこの松の梢に燈火をともし供養したのを見た人々が驚き怪しんで龍燈の松という名が付けられたそうです。
元は前にある、岩屋神社の神宮寺でもあり、二霊場に名を連ねられる古刹と思いお参りに行きましたが、数年来山門前から、廃寺?と思うほど荒れていて(すみません)、御朱印はあきらめていました。墓所はきれいにされていて、お墓参りの方がいらっしゃり、移転されたのかと思っていました。
数回應聖寺にお参りさせて頂いた際に、御住職が大変気にかけておられ、戒光院さま、長光寺さまと繋がり、御朱印を拝受できました。
檀家さま減少の著しい播州(兵庫県)の霊場巡拝は、どの霊場会の責任者の御住職も各お寺さまに事前に連絡を入れてから巡礼下さい と願われておられます。事前にご都合をお伺いするのは最低限のマナーだと思いました。気をつけてこれからも播州を巡礼させて頂きたいです。
明石市材木町9-4
明石港西側
明石市バス(タコバス)「樽屋町」下車南へすぐ
明石中央郵便局南200米
播州薬師霊場 第六番 御朱印
御詠歌
いつまでも たのみをかくる長林寺
松も久しき みのりきくらん
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