りゅうこくじ
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龍谷寺ではいただけません
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龍谷寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年06月20日(月)
参拝:2022年6月吉日
臨済宗妙心寺派 瑞雲山 龍谷寺(りょうこくじ)
※「りゅうこくじ」ではなく「りょうこくじ」と読むのだそうです。
元和元年(1615年)の創建で、もともとは浄土宗の寺院だったとのこと。
その後、初代明石藩主・小笠原忠政が元和5年(1619年)に母の菩提寺として境内を拡張。
このとき峰高寺と改称したそうですが、寛永9年(1632年)豊前小倉へ転封の際、峰高寺も小倉に移転したそうです。
三代目明石藩主・松平光重のときに、峰高寺の跡地に天叢和尚が瑞雲山龍谷寺を開山。
臨済宗妙心寺派となりました。
元禄9年(1696)火災により焼失、その後再建するも昭和20年の大空襲により灰燼に帰したそうです。
現在の本堂は平成元年に再建に着手、平成3年に完成したとのこと。
※「りゅうこくじ」ではなく「りょうこくじ」と読むのだそうです。
元和元年(1615年)の創建で、もともとは浄土宗の寺院だったとのこと。
その後、初代明石藩主・小笠原忠政が元和5年(1619年)に母の菩提寺として境内を拡張。
このとき峰高寺と改称したそうですが、寛永9年(1632年)豊前小倉へ転封の際、峰高寺も小倉に移転したそうです。
三代目明石藩主・松平光重のときに、峰高寺の跡地に天叢和尚が瑞雲山龍谷寺を開山。
臨済宗妙心寺派となりました。
元禄9年(1696)火災により焼失、その後再建するも昭和20年の大空襲により灰燼に帰したそうです。
現在の本堂は平成元年に再建に着手、平成3年に完成したとのこと。
山門
この手前左側に駐車スペースがあります
この手前左側に駐車スペースがあります
黒髪塚
「江戸藩邸詰めの馬廻役で剣の名手として誉れ高かった中田八十之助の死を悼み、その父中谷勝助が国許の明石に届けられた黒髪を埋め霊を慰めたものである」
~龍谷寺HPより~
「江戸藩邸詰めの馬廻役で剣の名手として誉れ高かった中田八十之助の死を悼み、その父中谷勝助が国許の明石に届けられた黒髪を埋め霊を慰めたものである」
~龍谷寺HPより~
永代供養塔
山門を入ってすぐ右手には境内社
金毘羅大権現
写真は撮っていませんが、この左手には稲荷神社の祠もあります。
写真は撮っていませんが、この左手には稲荷神社の祠もあります。
すてき
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