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宝蔵寺ではいただけません
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宝蔵寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年09月17日(日)
参拝:2023年8月吉日
兵庫県明石市にあるお寺です。
林地域の中では最も東にあると思います。
宗旨宗派は真言宗大覚寺派
ご本尊は毘沙門天
です。
この毘沙門天には言い伝えがあります。
宝蔵寺の縁起に関わる伝承が紹介されています。
応永3年(1396)の頃、林崎に藤原太郎左近という人がいました。
5月2日の夜、夢の中に毘沙門天が現れ「私は長い間、海の中にいる。引き揚げて祀ってくれれば、末代までいいことがある」と告げました。
あくる夜も、その次の夜も同じお告げがありました。
左近は舟を出して鹿の瀬にさしかかると海の中が光っていました。
覗いてみると4尺(約1.2m)の毘沙門天像が沈んでいました。
左近はどうして上げてよいか判らずに家に帰ってしまいました。
するとその夜、また毘沙門天が現れ「三またの銛(もり)で突けばよい」と言いました。
翌日、左近はモリで仏像をついて引き揚げ、お堂を建てて安置しました。
このお堂が宝蔵寺です。
この伝説は本尊の脇腹にこぶし大の穴があいていることからできたものと考えられます。
残念ながら 本堂に入ってのお参りはできませんでした。
遺跡「毘沙門天とかくれキリシタン十字架」と記された標柱があったので調べてみました。
宝蔵寺には縦25cm横20cm中央に合掌した仏像が鋳込まれた鉄製の十字架が伝わっているそうです。昭和になって発見されたようです。
かくれキリシタンの遺品が明石にあったなんて・・・見たかったです。
林地域の中では最も東にあると思います。
宗旨宗派は真言宗大覚寺派
ご本尊は毘沙門天
です。
この毘沙門天には言い伝えがあります。
宝蔵寺の縁起に関わる伝承が紹介されています。
応永3年(1396)の頃、林崎に藤原太郎左近という人がいました。
5月2日の夜、夢の中に毘沙門天が現れ「私は長い間、海の中にいる。引き揚げて祀ってくれれば、末代までいいことがある」と告げました。
あくる夜も、その次の夜も同じお告げがありました。
左近は舟を出して鹿の瀬にさしかかると海の中が光っていました。
覗いてみると4尺(約1.2m)の毘沙門天像が沈んでいました。
左近はどうして上げてよいか判らずに家に帰ってしまいました。
するとその夜、また毘沙門天が現れ「三またの銛(もり)で突けばよい」と言いました。
翌日、左近はモリで仏像をついて引き揚げ、お堂を建てて安置しました。
このお堂が宝蔵寺です。
この伝説は本尊の脇腹にこぶし大の穴があいていることからできたものと考えられます。
残念ながら 本堂に入ってのお参りはできませんでした。
遺跡「毘沙門天とかくれキリシタン十字架」と記された標柱があったので調べてみました。
宝蔵寺には縦25cm横20cm中央に合掌した仏像が鋳込まれた鉄製の十字架が伝わっているそうです。昭和になって発見されたようです。
かくれキリシタンの遺品が明石にあったなんて・・・見たかったです。
すてき
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くるくるきよせん2030投稿
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