じっそういん|天台宗|法寫山
実相院のお参りの記録一覧
善楽寺の境外塔頭です。
善楽寺と道を挟んで向かいにあります。
明石の西国観音霊場1番札所にもなっています。
観音霊場ですが ご本尊は阿弥陀如来のようです。
下調べでは御朱印が拝受できるとあったのですが この時は納経所が無人のようだったので諦めました。
(最近このパターンが多いのは信仰心がないということかと思うようになりました)
山門
石柱
鐘楼
六地蔵尊
大黒天堂
本堂
地蔵様と墓石群
天台宗 法写山 実相院
明石西国三十三ヶ所観音霊場 第一番札所
明石西国三十三ヵ所霊場参りで訪れたのですが、実はこの実相院さんの前に第二十六番札所である太山寺にお参りして、『明石西国三十三ヶ所観音霊場』集印帳をいただこうとしたところ、
「集印帳は第一番札所の実相院さんしか扱ってないんです」とのこと!
ということで、急遽実相院さんからお参りさせていただきました。
実相院に到着してまずは本堂へ。
と、本堂前には多くの履物があり、中から何やら話し声が聞こえてきて、
「これはもしや法事と被ってしまった?」と思い、躊躇しているとたまたま納経所の廊下にご住職が現れてこちらに気付いてくださいました。
やはり今から法要が行われるとのことだったのですが、御朱印をお願いすると快く引き受けてくださいました。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
実相院は、大化年中(645年)法道仙人の開基により創建された善楽寺の塔頭の一つ。
善楽寺塔頭は現在、戒光院・実相院・円珠院の三院のみですが、平安時代末期には十七もの塔頭を持っていたそうです。
善楽寺は、元永2年(1119年)に火災により焼失しますが、保元元年(1156年)に平清盛がこの地を重要視し、念持仏である木造地蔵尊と寺領五百石を寄進して再興。
天文8年(1539年)、戦乱の兵火により再び焼失しますが、文禄2年(1593年)に再建されます。
明石藩第5代藩主・松平忠国が『源氏物語』に登場する明石の君の父・明石入道の屋敷をこの地に比定したとのこと。
その後、昭和20年の空襲により善楽寺は焼失。
現在の塔頭三院で守り続けているとのことです。
山門
山門をくぐるとすぐ左手に六地蔵が出迎えてくれます
本堂
大黒天堂
専用の収印帳
實相院
~平清盛 明石西国三十三ヶ所観音霊場①~
法冩山 善楽寺 實相院
宗派 天台宗
御本尊 阿弥陀如来
開基 法道仙人
(飛鳥時代・大化年中 645~50)
明石西国三十三ヶ所観音霊場 第一番
聖観世音菩薩
御詠歌
ちかいには たれも導く観世音
まいる心は 諸法實相
天竺(印度)の霊鷲山上の仙境に住んでいた法道仙人は、ある時紫雲に乗って仙境を発ち、 中国から百済を過ぎ、日本の上空に来て、播磨国の法華山に下りられました。
孝徳天皇の白元年(650)勅命に依り一乗寺を建立し、更に、多くの寺院を諸国に開きましたが、 善楽寺も法道仙人の開基と伝えられています。
善楽寺は平安時代の元永二年(1119)に焼失したのを平清盛が保元元年(1156)に再興し、
十七ヶ寺の塔頭を有する大伽藍でした。
實相院もその一つでしたが、室町時代の天文八年 (1539)に赤松政村の攻撃による兵火に焼かれ、安土桃山時代の文禄二年(1593)に再建されました。
しかし昭和二十年の戦火で焼かれ、戦後復興して今日に至っています。
尚、現在は善楽寺から独立して法写山實相院と称されています。
實相院の名の由来は、實法実相という仏語からとられています。
明石市大観町12―25
明石西国三十三ヶ所観音霊場
第一番
法冩山 善楽寺 實相院
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