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応聖寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年01月05日(木)
参拝:2022年12月吉日
天台宗 妙見山 應聖寺(おうしょうじ)
関西花の寺二十五霊場第8番
播州薬師霊場第13番札所
今回、播州薬師霊場巡りで初めてお参りさせていただきました。
「播州沙羅の寺」と呼ばれるほど200本もの沙羅の木があり、6月中旬から7月上旬にかけて「沙羅まつり」が行われます。
その他にも桜やユキヤナギなど季節の様々な花が咲くお寺になります。
ただ今回は12月ということでお花はありませんでしたが、春になったら改めてお参りしたいと思います。
御朱印をいただこうとインターホンを押すと、奥様がご対応くださり、色々とお話を聞かせていたあきました。
そして播州薬師霊場の第14番札所である松金山薬常寺さんについて、「薬常寺さんにもお参りされますよね?」と尋ねられたので、「そのつもりです」と答えたところ、「あちらのご住職は亡くなられてこちらで薬常寺さんの御朱印も預かっているんですが」と教えていただきました。
もちろん有難く薬常寺さんの御朱印も拝受いたしました。
薬常寺さんへは後日お参りする予定のため、そのときにまた御朱印は紹介させていただきます。
さらに2月の第一日曜日(今年は2月5日)には節分大護摩法要があるとのことで、「護摩を焚くので良かったらお越しください」とお声を掛けていただきました。
以前は炊き出しもして、参拝者に振舞われていたそうですが、コロナの影響でそれは出来なくなったそうです。
<縁起> ~応聖寺HPより~
往昔からの古事・伝承に基づくと、当山は天竺の高僧法道仙人によって、白雉年間(650年~654年)に開基されたと伝えられています。近年、寺に伝わる釈迦誕生仏が、白鳳時代(7世紀後半)の仏像と確認され、福崎最古の寺院と判明しました。『播磨国風土記』に記された”高岡の里”にあって、その半世紀も前に、当山が開基されたことになります。
鎌倉時代中期、人皇第八十九代亀山帝の御代文永二年(1265年)11月、祐運大徳によって應聖寺は中興されます。中興の外護者は当時の播磨国守護職小山氏であり、播磨国の中心に位置する守護職管轄地に、自らの知行国安寧のための祈願所として中興されました。
南北朝室町時代には、播磨国の在地領主赤松一族の祈願所として再び繁栄します。当時の様子を『應聖寺縁起』 に尋ねると、「誠に台門の古刹として、往時は堂塔伽藍軒を列ね、寺観の美は法門の指標として、衆庶の膽仰する所なり云々」と伝えており、天台宗門の古刹として、堂塔伽藍の秀麗さにおいて、ひときわ異彩を放っていたことが知られます。更に、当寺は往昔より、神西郡の主格、高岡郷にあり、住職は末社十社を支配する一宮神社の別当職を兼務していました。
関西花の寺二十五霊場第8番
播州薬師霊場第13番札所
今回、播州薬師霊場巡りで初めてお参りさせていただきました。
「播州沙羅の寺」と呼ばれるほど200本もの沙羅の木があり、6月中旬から7月上旬にかけて「沙羅まつり」が行われます。
その他にも桜やユキヤナギなど季節の様々な花が咲くお寺になります。
ただ今回は12月ということでお花はありませんでしたが、春になったら改めてお参りしたいと思います。
御朱印をいただこうとインターホンを押すと、奥様がご対応くださり、色々とお話を聞かせていたあきました。
そして播州薬師霊場の第14番札所である松金山薬常寺さんについて、「薬常寺さんにもお参りされますよね?」と尋ねられたので、「そのつもりです」と答えたところ、「あちらのご住職は亡くなられてこちらで薬常寺さんの御朱印も預かっているんですが」と教えていただきました。
もちろん有難く薬常寺さんの御朱印も拝受いたしました。
薬常寺さんへは後日お参りする予定のため、そのときにまた御朱印は紹介させていただきます。
さらに2月の第一日曜日(今年は2月5日)には節分大護摩法要があるとのことで、「護摩を焚くので良かったらお越しください」とお声を掛けていただきました。
以前は炊き出しもして、参拝者に振舞われていたそうですが、コロナの影響でそれは出来なくなったそうです。
<縁起> ~応聖寺HPより~
往昔からの古事・伝承に基づくと、当山は天竺の高僧法道仙人によって、白雉年間(650年~654年)に開基されたと伝えられています。近年、寺に伝わる釈迦誕生仏が、白鳳時代(7世紀後半)の仏像と確認され、福崎最古の寺院と判明しました。『播磨国風土記』に記された”高岡の里”にあって、その半世紀も前に、当山が開基されたことになります。
鎌倉時代中期、人皇第八十九代亀山帝の御代文永二年(1265年)11月、祐運大徳によって應聖寺は中興されます。中興の外護者は当時の播磨国守護職小山氏であり、播磨国の中心に位置する守護職管轄地に、自らの知行国安寧のための祈願所として中興されました。
南北朝室町時代には、播磨国の在地領主赤松一族の祈願所として再び繁栄します。当時の様子を『應聖寺縁起』 に尋ねると、「誠に台門の古刹として、往時は堂塔伽藍軒を列ね、寺観の美は法門の指標として、衆庶の膽仰する所なり云々」と伝えており、天台宗門の古刹として、堂塔伽藍の秀麗さにおいて、ひときわ異彩を放っていたことが知られます。更に、当寺は往昔より、神西郡の主格、高岡郷にあり、住職は末社十社を支配する一宮神社の別当職を兼務していました。
播州薬師霊場御朱印
関西花の寺御朱印
山門
山門正面には庫裏
本堂
百済観音
奥之院祈願堂
扉を開けて中でお参りすることができます。
内部には薬師如来様がお祀りされていますが、内部は撮影禁止です。
内部には薬師如来様がお祀りされていますが、内部は撮影禁止です。
涅槃の庭
先の住職の手作りなんだそうです。
先の住職の手作りなんだそうです。
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。