はやしだはちまんじんじゃ
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楽しみ方林田八幡神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年05月04日(日) 17時12分21秒
参拝:2025年3月吉日
姫路市の西の端、林田川の近くに鎮座しています。
寛平5年(893年)に石清水八幡宮から分霊を勧請し創建したとのことなので、創建から1,100年以上の歴史ある神社になります。
拝殿、本殿ともに歴史を感じる趣があり、境内の雰囲気もとても良かったです。
参拝したタイミングが夕方だったためか、境内は無人で宮司様もいらっしゃらないようでした。
<御祭神>
主祭神:品陀和気命(応神天皇)
配祀神:足仲彦命(仲哀天皇)
息長足姫命(神功皇后)
五十猛命(中臣印達神社)
<御由緒>~兵庫県神社庁HPより~
寛平5年(893)五月、林田庄内(今の林田町)の有志36名により、国土安穏と子孫繁栄の為、神祇に祈らんとする念が強かった。その時、今の鎮座地の峯に鈴の鳴る音が頻に聞こえ、東の峯に鉾が立ち、西の峯に白羽の矢が立った。人々はこれを神を祀るべき地の瑞兆として評議一決し、山城国石清水八幡宮の分霊を勧請して奉る為に、この社地より南十町の所に湧出する泉(塩阜)に沐浴潔斎して、山城国男山に上り、八幡宮の分霊を勧請具奉して還った(寛平5年8月15日)(893)。同月28日、社地を定め幣物を捧げ、再び9月2日に三村左近藤原兼久以下35人が列座し、神酒を捧げ、同月8日に仮殿を設けて遷し奉る。これが当社の創立である。
延元元年(1336)新田義貞が戦勝を祈願して「神祇」の二大文字額(弘法大師の書)を納めた。また、江戸時代には池田輝政が当社を崇敬し、木製の高麗狗二躯を奉納した。
林田藩主の建部公は、8代250年の間、明治維新まで代々当社を産土神とし、祈願所として強く崇敬し、石灯燈等の奉納がある。
寛平5年(893年)に石清水八幡宮から分霊を勧請し創建したとのことなので、創建から1,100年以上の歴史ある神社になります。
拝殿、本殿ともに歴史を感じる趣があり、境内の雰囲気もとても良かったです。
参拝したタイミングが夕方だったためか、境内は無人で宮司様もいらっしゃらないようでした。
<御祭神>
主祭神:品陀和気命(応神天皇)
配祀神:足仲彦命(仲哀天皇)
息長足姫命(神功皇后)
五十猛命(中臣印達神社)
<御由緒>~兵庫県神社庁HPより~
寛平5年(893)五月、林田庄内(今の林田町)の有志36名により、国土安穏と子孫繁栄の為、神祇に祈らんとする念が強かった。その時、今の鎮座地の峯に鈴の鳴る音が頻に聞こえ、東の峯に鉾が立ち、西の峯に白羽の矢が立った。人々はこれを神を祀るべき地の瑞兆として評議一決し、山城国石清水八幡宮の分霊を勧請して奉る為に、この社地より南十町の所に湧出する泉(塩阜)に沐浴潔斎して、山城国男山に上り、八幡宮の分霊を勧請具奉して還った(寛平5年8月15日)(893)。同月28日、社地を定め幣物を捧げ、再び9月2日に三村左近藤原兼久以下35人が列座し、神酒を捧げ、同月8日に仮殿を設けて遷し奉る。これが当社の創立である。
延元元年(1336)新田義貞が戦勝を祈願して「神祇」の二大文字額(弘法大師の書)を納めた。また、江戸時代には池田輝政が当社を崇敬し、木製の高麗狗二躯を奉納した。
林田藩主の建部公は、8代250年の間、明治維新まで代々当社を産土神とし、祈願所として強く崇敬し、石灯燈等の奉納がある。



随神門

随神門をくぐりまっすぐ進むと、石段の上に拝殿が見えてきました

神馬像

立派な手水鉢

手水鉢を頑張って支えてます!

拝殿


拝殿の彫刻


本殿


先日投稿した祝田神社と同じく、境内には三基の石燈籠。
どちらも林田藩主建部家が寄進したものです。
どちらも林田藩主建部家が寄進したものです。


聖社・天神社・稲荷社

高良神社

松尾神社


松尾神社前から見た本殿後方

絵馬殿
すてき
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