あこうはちまんぐう
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赤穂八幡宮のお参りの記録(2回目)
投稿日:2025年02月16日(日)
参拝:2025年1月吉日
2023年10月の神幸式の日に参拝して以来二度目の参拝となりました。
前回は当然大勢いの人で賑わい、新聞社などの取材の方もいらっしゃる中だったため、参拝に伺ったというよりは神幸式を見に行った・・・という感じになってしまいました😅
今回は夕方が差し迫っていたこともあり、他に参拝される方はいらっしゃらずゆっくりとお参りすることができました。
こちらのオリジナル御朱印帳は、赤穂の伝統工芸である「赤穂段通」のデザインとなっています。
赤穂八幡宮さんのfacebookに記載されている内容を転載させていただきます。
「赤穂市立歴史博物館蔵の”唐花に蔓草文 縁雷紋に波紋”(御寮)という柄になります」
実はこの御朱印帳が欲しくて前回も参拝させていただいたのですが、あまりの人の多さと神幸式でバタバタされている中だったので、さすがにご迷惑かけてはいけないと御朱印帳どころか御朱印をいただくことも断念。
今回、もうこの御朱印帳はないかもなと思いつつ社務所を訪れると、奥様がご対応くださったので「まだ御朱印帳ってありますか?」と尋ねると「ありますよ」と笑顔で答えてくださいました。
念願の御朱印帳が手に入り、大満足の参拝となりました。
<御祭神>
応神天皇(八幡大神)
神功皇后
仲哀天皇
<御由緒>~赤穂八幡宮HPより~
赤穂八幡宮は赤穂の氏神さまとして、室町時代応永13(1406)年に、現在の鎮座地に赤穂市の西(銭戸島)から 応神天皇(八幡大神)が遷座されました。
室町時代は播磨国守護赤松家の庇護のもと維持され、江戸時代は赤穂藩主池田家、浅野家、森家の信仰のもと発展しました。
明治維新に神仏分離がなされ八幡神社と呼ばれましたが、昭和27年以降は江戸時代の社名である八幡宮へ戻し、現在に至っています。
前回は当然大勢いの人で賑わい、新聞社などの取材の方もいらっしゃる中だったため、参拝に伺ったというよりは神幸式を見に行った・・・という感じになってしまいました😅
今回は夕方が差し迫っていたこともあり、他に参拝される方はいらっしゃらずゆっくりとお参りすることができました。
こちらのオリジナル御朱印帳は、赤穂の伝統工芸である「赤穂段通」のデザインとなっています。
赤穂八幡宮さんのfacebookに記載されている内容を転載させていただきます。
「赤穂市立歴史博物館蔵の”唐花に蔓草文 縁雷紋に波紋”(御寮)という柄になります」
実はこの御朱印帳が欲しくて前回も参拝させていただいたのですが、あまりの人の多さと神幸式でバタバタされている中だったので、さすがにご迷惑かけてはいけないと御朱印帳どころか御朱印をいただくことも断念。
今回、もうこの御朱印帳はないかもなと思いつつ社務所を訪れると、奥様がご対応くださったので「まだ御朱印帳ってありますか?」と尋ねると「ありますよ」と笑顔で答えてくださいました。
念願の御朱印帳が手に入り、大満足の参拝となりました。
<御祭神>
応神天皇(八幡大神)
神功皇后
仲哀天皇
<御由緒>~赤穂八幡宮HPより~
赤穂八幡宮は赤穂の氏神さまとして、室町時代応永13(1406)年に、現在の鎮座地に赤穂市の西(銭戸島)から 応神天皇(八幡大神)が遷座されました。
室町時代は播磨国守護赤松家の庇護のもと維持され、江戸時代は赤穂藩主池田家、浅野家、森家の信仰のもと発展しました。
明治維新に神仏分離がなされ八幡神社と呼ばれましたが、昭和27年以降は江戸時代の社名である八幡宮へ戻し、現在に至っています。
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