いわやじ|天台宗|有乳山(うにゅうさん)
岩屋寺のお参りの記録一覧
今現在、上には上がれません、調査のためあがりました。昔はかなり立派な様です。
岩屋村の所有物みたいですが、存続は難しそう。御本尊は文化財の指定を受けているため廃寺となると博物館行き。村の宝なのですが、元気のなくなった日本のしわ寄せはこんなところにもきています。
岩屋の語源
御本尊が毘沙門さんなので寅がお使い
派手な色彩
麓よりの会館の内陣
本堂に向かう途中に鐘楼があります。
御本尊の逗子 お前立ちの毘沙門天
右の脇侍のお不動さん
有乳山 岩屋寺(いわやじ)
~ 幻の毘沙門尊天を求めて
2025年4月22日御開帳予定 ~
山号 有乳山(うにゅうさん)
御本尊 毘沙門天
播州薬師御本尊 薬師如来
開基 法道仙人
行基菩薩
建立 大化元年(645年)
寺宝
毘沙門天像(国重文)
岩屋寺の大岩
御本堂前の水盤(家形石棺蓋)
その他
札所
播州薬師霊場 第二十一番
御詠歌
はるばると 有乳の山にのぼりきて
衆生ともにこころしずめん
縁起
大化元年(645年)、法道仙人の開基と伝えられますが、『播磨鑑』では行基菩薩とされます。
法道仙人がこの地を訪れと毘沙門天の化身に出会い、毘沙門天を祀れば国家安寧すると告げられた為、自ら毘沙門天像を彫り込み安置され、七堂伽藍が整ったと伝わります。
その後、本院六院、十八坊を数える隆盛をみましたが、天正五年(1577年) 別所吉親の兵火によってことごとく灰尽に帰しました。
慶長六年(1601)初代姫路藩主池田輝政が堂宇の造営と寺領の寄進を行い復興、
姫路城の鬼門の方角に当たる為、歴代領主の帰依となり、特に寛永二年(1625年)には当時の藩主本多忠政公が松平直矩が藩主の代、直矩の夫人が乳が出なく悩んでいると直矩の夢枕に毘沙門天の化身が立ち念願成就を約束しました。すると、突如として夫人の乳の出が良くなった事から直矩は毘沙門天を感謝し岩屋寺を再興、御本堂を再建し山号を有乳山に改め、寄進されました。
延宝四年(1676年) 源空上人が中興して今日に至ります。
寺宝の木造毘沙門天立像は、藤原時代に制作されたと推定されるもので、国指定重要文化財に指定されています。その御本尊毘沙門天を安置する御本堂の上に大岩が突き出ています。岩屋寺の名はこれによったものであります。
また、境内の水盤は家型石棺の蓋石を転用したものです。
~・~・~・~
木造毘沙門天立像
概要
毘沙門堂の御本尊として安置されている。調和がとれ、のびのびとして生気に満ちた姿態がこの像の特長で、彩色を施した美しい文様も諸処に残っている。
~姫路市HPより~
🪻🪻🪻🌿
編集中
姫路市豊富町神谷3031
0792-64-4103
御朱印は福田寺さま
TEL 0792632826
姫路市HPより
木造毘沙門天立像は藤原時代に制作されたと推定されるもので国指定重要文化財に指定され、随願寺の毘沙門天立像と並ぶ優秀作とされます。
昭和62年 参考資料
播磨薬師霊場 第二十一番
御朱印
広大な境内の五輪塔が集められてありました
素晴らしい築地塀
庫裏
素晴らしい庭園
無住になり久しく 燈籠も微かに見えるくらいです
鶴もいました
山中腹に御本堂や大岩があります
一山が岩屋寺さまという広大な素晴らしいお寺さま
国と姫路市の調査が入っておられる為
暫くは地蔵堂までの拝観になります
鐘楼堂
播磨薬師霊場 新緑の映える薬師堂
あまりの美しさに暫く佇んでいました
硝子に映る新緑
四国八十八写に拝みながら、地蔵堂に参りました
右手参道(御本堂までの1/3程の地点)で立ち入り禁止となります
地蔵堂
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