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あんようじ|浄土宗大悲山

安養寺のお参りの記録一覧
公式兵庫県 大倉山駅

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年10月25日(土) 18時33分56秒
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神戸市中央区にあるお寺です。
スタートした大倉山まで戻ってきました。
兵庫区でチェックしたリストになかったので なぜ?と思ったら ここは中央区だったんです。
神戸の方ならご存じ 「もっこすラーメン」 のすぐ近くです。
裏手は市立中央図書館 近くには文化ホールや中央体育館があり 文教地区です。
子どもの発表会やスポーツ大会でよく来ていた地域ですが お寺があることには気づいていませんでした。
浄土宗のお寺ですが 門が開いている状態(ない?)だったので入らせていただきました。
門からしてモダンなお寺です。
建物すべてが新しいので震災後に再建されたお寺だと分かります。
にもかかわらず 本堂は木造のお寺らしいもの。
素敵です。嬉しいです。
浄土宗寺院ですので 本堂の前で合掌して写真を撮らせていただくことにしました。

ネット情報です。
当寺はHPをおもちでしたので借稿します。
天暦年間(950年)
尼崎・大物に 恵心僧都源信上人の妹 安養尼の開基と伝わる。
寛永12年(1635年)
青山家の菩提寺となる。
寛永20年(1643年)
尼崎藩第2代藩主青山大膳亮幸利侯は 領地を巡回中に 坂本村(現在の大倉山の麓)に立ち寄り 楠木正成公の墓(梅塚と呼ばれていた塚)があるのを見つけ 五輪の塔を建て 梅と松の二樹を植えられた。
貞享元年(1684年)
幸利侯没後 遺書により安養寺を坂本村(現大倉山)に移転し 山上に墓を建て 菩提を弔うこととなった。
それ以降 この山(現大倉山)を安養寺山と言うようになった。
幸利侯は在世中 領民をいたわり 飢饉の時などは免税し 善政を布かれた名君の誉れ高い人であった。
明治4年頃お檀家を持つようになった。
安養寺山も官有地となり 明治の末には公園に造成されたが 後に大倉男爵が別荘を建てたので 大倉山と呼ばれるようになった。
明治25年(1892年)
尼崎如来院の末寺を脱して 知恩院直末のお寺となる。
昭和20年(1945年)
当時の防空法により 「建物強制疎開」を命ぜられ 安養寺は解体された。
昭和21年1946年)
山門と鐘楼を買い戻したが 本堂は不明のままで以降仮の本堂のままであった。
平成7年(1995年)
1月17日 阪神・淡路大震災にあい 全てが倒壊した。
平成14年(2005年)
第三十世覺譽涼裕が入山し再建立の準備を始める。
平成27年(2015年)
3月8日 落慶式を迎え 現在の安養寺が完成した。
奇しくも終戦から70年 大震災から20年の節目の年であった。

安養寺(兵庫県)

看板が導いてくれます

安養寺(兵庫県)

入口はモダンです

安養寺(兵庫県)

寺号標(石)

安養寺(兵庫県)
安養寺(兵庫県)

沿革

安養寺(兵庫県)

階段を上がると境内に 本堂

安養寺(兵庫県)

本堂正面

安養寺(兵庫県)

本堂側面

安養寺(兵庫県)

鐘楼

安養寺(兵庫県)

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