いくたじんじゃ
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生田神社のお参りの記録(3回目)
投稿日:2024年04月14日(日)
参拝:2024年3月吉日
新羅からの客人に当社で醸造した神酒を振舞っていたことが伝えられている。 その由縁から毎年神酒を醸造し、新羅の客人が来朝するたびに邪気を祓う為、生田の地で醸された神酒を振舞った。 新羅の客人の罪穢れを祓い心身共に清々しくさせ、心を和ませるといった朝貢外交以上に平和外交上重要な役目を担っていた。
砂山の大洪水 生田神社、今の場所に遷る
当初は砂山いさごやまに鎮座していた。延暦18年(西暦799年)に洪水で布引の渓流が氾濫し、砂山西端が崩壊し、 社殿が傾斜する被害が及んだため、生田村の刀禰七太夫なる者がご神体を背負い7、8日間鎮座地を探し巡り、 生田の森に至った時、突然背負ったご神体が重くなりこれ以上歩けなくなった。 これはご神意であろうとその場所安置した。
神戸の地名は生田神社から
大同元年(西暦806年)朝廷より当社の為にお供えする家、世話をする家、守る家である神戸かんべ44戸を頂いたとあり、 この「かんべ」が「こんべ」となり現在の「こうべ」となったと伝わっています。
むすびの神曲
戦前より結婚式を行っている当社では宮城道雄師作曲の「むすびの神曲」という曲が三三九度の際に奏されます。 この曲は我が国初めての夫婦神である伊弉諾、 伊弉冊の2神が結婚の際に読まれた歌と素戔嗚尊の婚姻の歌を歌詞として奉奏しております。
砂山の大洪水 生田神社、今の場所に遷る
当初は砂山いさごやまに鎮座していた。延暦18年(西暦799年)に洪水で布引の渓流が氾濫し、砂山西端が崩壊し、 社殿が傾斜する被害が及んだため、生田村の刀禰七太夫なる者がご神体を背負い7、8日間鎮座地を探し巡り、 生田の森に至った時、突然背負ったご神体が重くなりこれ以上歩けなくなった。 これはご神意であろうとその場所安置した。
神戸の地名は生田神社から
大同元年(西暦806年)朝廷より当社の為にお供えする家、世話をする家、守る家である神戸かんべ44戸を頂いたとあり、 この「かんべ」が「こんべ」となり現在の「こうべ」となったと伝わっています。
むすびの神曲
戦前より結婚式を行っている当社では宮城道雄師作曲の「むすびの神曲」という曲が三三九度の際に奏されます。 この曲は我が国初めての夫婦神である伊弉諾、 伊弉冊の2神が結婚の際に読まれた歌と素戔嗚尊の婚姻の歌を歌詞として奉奏しております。
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