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やなぎはらてんじんじゃ

柳原天神社の御由緒・歴史
兵庫県 兵庫駅

ご祭神《主》菅原道真,《配》天之菩卑能命,野見宿禰
ご由緒

人皇第六十代醍醐天皇の昌泰四年正月右大臣菅原道眞公は九州太宰府へ左遷さるる事となり其の途次当地兵庫港に上陸し折から馥郁たる梅花を賞で『風さむみ雪にまかへて咲く花の袖にぞ移れ匂ふ梅が香』と詠じ給わった。公の太宰府に薨ぜらるるや太宰府安楽寺の菅公廟より御分霊を迎え奉祀した。これが当社の縁起である。
鎌倉時代、時宗の開祖一遍上人が当社の南方約四百米にあった観音堂で示寂(死去)さるるや時宗第二世・他阿上人が一遍上人の墓の傍に眞光寺を建てた。この時当社の傍にも上人が満福寺を建立し僧侶が奉仕した。明治初年神佛判然令に依り独立して神道祭祀となり同三十五年には菅公一千年祭を斎行し同四十五年市内最初の国家幣帛供進指定神社となる。古来社殿は現地の北方約十五米に在り東面す。昭和二十年罹災後、現地に鎮坐し南面となった。
昭和二十年三月太平洋戦争のため本殿以下諸建物また氏子三千戸全焼し同三十三年より本殿以下を復建した。古来平家一門また前記の時宗の門徒の信仰篤く殊に平忠度は「天神画像」の大軸を奉納す(現在社宝)徳川時代の文教盛んとなるに従い益々に社勢も亦盛となり明治初年氏子の切戸町の旧幕府勤番所跡に兵庫県庁を置き県政の中心地となる朝野の名士文人墨客の往来参拝多く殊に当地に唯一の郷学明韻館の設置せられ兵庫の文芸、文事のみな当地を中心として発祥し当社は神戸市文教の祖神として信仰を集むるに至った。
当社祭典は盛大にして神輿、地車、牛車(御所車)など神幸式は名物祭として知られた

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