みょうせんじ|臨済宗南禅寺派|天照山
明泉寺のお参りの記録一覧
2週間ぶりに何処かにお参りに行きたくなり、前から行ってみたかった「明泉寺」に行ってみました。
今回は車で行ったのですが、駐車場に入る路地の入口が少し分かりにくく、戸惑いました。
その路地も少し狭いので、車でお参りする方は運転には要注意です。
参拝者用駐車場は階段下に斜めに2台停めるようになっています。
階段右側にかなり広いスペースがあるのですが、そこは近隣の方の月極のスペースのようですから停めないようにしてくださいね。
階段を上がり門をくぐると正面に本堂が見えます。
手水舎の隣には牛の彫像が寝そべってました。
こじんまりしたコンパクトな境内ですが、バス通りの真横とは思えない静かな落ち着くスペースでした。
本堂を左にとると墓苑がありますが、その奥に平智章の墓所があります。
平氏の中でも戦略に長けた知将のイメージがある平知盛の長男である「平智章」ですが、かなり武勇に秀でた怪力無双の武将だったようですね。
平知盛はかなり前に読んだ漫画の「修羅の刻・義経編」で知ってからその最後の鮮やかさにある種の畏敬の念を抱いていたのですが、息子の「智章」も負けず劣らずの人間的魅力に溢れた人だったようですね。
お寺の方は不在だったようで御朱印は貰えなかったのが残念でしたが、またお参りに行こうと思います。
駐車場のある階段下から門を見上げてます。
大日寺の石柱
お寺の名前は明泉寺ですが、石柱は何故か大日寺です。
寺の縁起です。
手水舎。
水は止まってました。
本堂
本堂近影
平智章の墓所です。
(福原西国三十三所観音客番札所)
通称は大日寺だそうです。
宝永2年(1705年)、行基菩薩様が畿内に49院を建てたうちの一つで、本尊も行基の作と言われています。
寿永3年(1184年)2月7日の一ノ谷の戦いで、平盛俊が義経の来襲に備えてここに陣を布き、寺は焼失し、盛俊は討死。生田の森を守っていた平知章もこの地で戦死たとのことです。
境内には、平知章公の墓所がありました。
ちょうどご住職のお孫さんが繁殖したメダカの宿替えをしていてほっこりしました。
御朱印 福原西国三十三所観音客番
山門
縁起
大日寺の石標
平知章公墓所の石標
本堂
庫裡
平知章 源平合戦の図
平知章公墓所
鎮守社
寺崎方堂の歌碑
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