ひむろじんじゃ
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楽しみ方氷室神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年04月11日(土) 23時07分03秒
参拝:2026年3月吉日
氷室神社は神戸市兵庫区にある神社です。
山沿いに歩いていましたらこちら氷室神社に至ります。
こちらは清盛七辨天の一つ 恋愛辨天が祀られていることで有名です。
これで清盛七辨天は巡り終わりになります。
こちらも住宅街の外れ 山ぎりぎりの場所にあります。
氷室という名からも分かる通り 昔氷室があった場所です。
そりゃあ山にあって当然ですね。
車で来ることはできません。
坂道をとっとこ歩いてください。
巫女さんのパネルが出迎えてくれました。
由緒書の他に平通盛について書かれたものがありました。
平通盛と小宰相が結ばれたことがきっかけで恋愛辨天かと思ったら違いました。
境内に入ると ウサギと鹿がいます。
祭神の大国主大神にちなんで因幡の白うさぎ 民話にちなんで夢野の鹿だそうです。
本殿・拝殿前には大絵馬とウサギ。
大絵馬には「幸せむすび縁むすび」とありました。
狛犬さんは少し黄色くなっていました。
これは落書きじゃないなぁ苔?カビ?
拝殿に入ると 一人の女性が何やら書いていました。
境内にはかなり古いポストがありました。
「愛の手紙」を投函するのだそうです。
なるほど その女性は愛の手紙を書いていたのですね。
本殿でのお詣りをすませ 境内を散策。
神塚や祠がいくつかありました。
トタン板の前に鳥居がありました。
中に入って見ると こちらは弁天様でした。
こちらが恋愛辨天の祠ですね。
下り蹲踞(つくばい)もありました。
巡り終えたので社務所で御朱印をいただきました。
授与品も多く 参拝者が多いことが推察できます。
恋愛・縁結びの神様は人気ですね。
こちら氷室神社さんはHPをおもちでした。
由緒について借稿させていただきます。
創立年月日は詳らかではないが 神社の鎮座する夢野の地は元来「禁野」といい 昔 高貴な方の墓所・皇室の御料地としての殺生禁断の地でした。
仲哀天皇の時代(西暦200年頃)に麛坂皇子・忍熊皇子は ご自分が位に継ぐことをお考えになり この地で狩りを行って占いました。
しかし 1日中何も捕まえることができず麛坂皇子は猪に襲われて亡くなってしまいました。
そしてこの地に墳墓が築かれました。
仁徳天皇の時代(西暦374年)に 兄の額田大中彦皇子がこの地に狩りに来られたときに 闘鶏稲置大山主に尋ねて氷室があるのを見つけられ その氷室に納められた水を毎年 天皇に献上されるようになりました。
神社の昔の境内地で現在氷室公園周辺に麛坂皇子の墳墓といわれる「御塚」がありました。
その上には額田大中彦皇子をお祀りする摂社古殿神社が鎮座していました。
氷室神社本殿には 仁徳天皇が祀られています。
闘鶏稲置大山主は今の村長にあたり 氷室神社社家小林氏の先祖になります。
平安時代 平清盛が兵庫七辨天の一社として広島厳島神社より市杵島姫命(れんあいべんてん)を奉斎しました。
福原遷都時に 神社付近には清盛の弟の教盛の別邸があり 後白河法皇がこの邸内に幽閉されていました。
源平合戦のときには 平教経の陣所があり 氷室神社からは お豊富な清水がわき「陣場の井」と呼ばれていました。
合戦前 平通盛と妻小宰相がこの地で今生の名残を惜しみました。(平家物語)
神社の西には 源義経が駆け下った鵯越の逆落としの地があります。
◆鎌倉時代末期 湊川合戦時 楠木正成公 家来を連れて小林氏を訪れ 会下山に砦を築いた。
◆明治8年 京都伏見稲荷大社より稲荷神社を勧請した。
<氷室の旧跡>冬の氷を夏まで貯えておくために造った室である。
山沿いに歩いていましたらこちら氷室神社に至ります。
こちらは清盛七辨天の一つ 恋愛辨天が祀られていることで有名です。
これで清盛七辨天は巡り終わりになります。
こちらも住宅街の外れ 山ぎりぎりの場所にあります。
氷室という名からも分かる通り 昔氷室があった場所です。
そりゃあ山にあって当然ですね。
車で来ることはできません。
坂道をとっとこ歩いてください。
巫女さんのパネルが出迎えてくれました。
由緒書の他に平通盛について書かれたものがありました。
平通盛と小宰相が結ばれたことがきっかけで恋愛辨天かと思ったら違いました。
境内に入ると ウサギと鹿がいます。
祭神の大国主大神にちなんで因幡の白うさぎ 民話にちなんで夢野の鹿だそうです。
本殿・拝殿前には大絵馬とウサギ。
大絵馬には「幸せむすび縁むすび」とありました。
狛犬さんは少し黄色くなっていました。
これは落書きじゃないなぁ苔?カビ?
拝殿に入ると 一人の女性が何やら書いていました。
境内にはかなり古いポストがありました。
「愛の手紙」を投函するのだそうです。
なるほど その女性は愛の手紙を書いていたのですね。
本殿でのお詣りをすませ 境内を散策。
神塚や祠がいくつかありました。
トタン板の前に鳥居がありました。
中に入って見ると こちらは弁天様でした。
こちらが恋愛辨天の祠ですね。
下り蹲踞(つくばい)もありました。
巡り終えたので社務所で御朱印をいただきました。
授与品も多く 参拝者が多いことが推察できます。
恋愛・縁結びの神様は人気ですね。
こちら氷室神社さんはHPをおもちでした。
由緒について借稿させていただきます。
創立年月日は詳らかではないが 神社の鎮座する夢野の地は元来「禁野」といい 昔 高貴な方の墓所・皇室の御料地としての殺生禁断の地でした。
仲哀天皇の時代(西暦200年頃)に麛坂皇子・忍熊皇子は ご自分が位に継ぐことをお考えになり この地で狩りを行って占いました。
しかし 1日中何も捕まえることができず麛坂皇子は猪に襲われて亡くなってしまいました。
そしてこの地に墳墓が築かれました。
仁徳天皇の時代(西暦374年)に 兄の額田大中彦皇子がこの地に狩りに来られたときに 闘鶏稲置大山主に尋ねて氷室があるのを見つけられ その氷室に納められた水を毎年 天皇に献上されるようになりました。
神社の昔の境内地で現在氷室公園周辺に麛坂皇子の墳墓といわれる「御塚」がありました。
その上には額田大中彦皇子をお祀りする摂社古殿神社が鎮座していました。
氷室神社本殿には 仁徳天皇が祀られています。
闘鶏稲置大山主は今の村長にあたり 氷室神社社家小林氏の先祖になります。
平安時代 平清盛が兵庫七辨天の一社として広島厳島神社より市杵島姫命(れんあいべんてん)を奉斎しました。
福原遷都時に 神社付近には清盛の弟の教盛の別邸があり 後白河法皇がこの邸内に幽閉されていました。
源平合戦のときには 平教経の陣所があり 氷室神社からは お豊富な清水がわき「陣場の井」と呼ばれていました。
合戦前 平通盛と妻小宰相がこの地で今生の名残を惜しみました。(平家物語)
神社の西には 源義経が駆け下った鵯越の逆落としの地があります。
◆鎌倉時代末期 湊川合戦時 楠木正成公 家来を連れて小林氏を訪れ 会下山に砦を築いた。
◆明治8年 京都伏見稲荷大社より稲荷神社を勧請した。
<氷室の旧跡>冬の氷を夏まで貯えておくために造った室である。

正面石鳥居

由緒書

こちらも由緒書

御子さんのパネルが迎えてくれます

平通盛について

柱門

手水舎

龍 好きです

氷室ですから氷の聖地 アイススケートは別ですね

因幡の白うさぎ?

夢野の鹿

本殿・拝殿

大絵馬

狛犬さん ちょっと変わってかわいい


拝殿内にポスト ずいぶん古いなぁ

愛の手紙を投函するそう


境内に鳥居

弁天様でした

清盛七辨天の一つです

下り蹲踞(つくばい)
すてき
投稿者のプロフィール

くるくるきよせん3347投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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