ゆめのはちまんじんじゃ
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楽しみ方夢野八幡神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年04月12日(日) 22時52分39秒
参拝:2026年3月吉日
夢野八幡神社は神戸市兵庫区にある神社です。
烏原貯水池から下りて来て 小さな山にある神社です。
鬱蒼と木が茂っている杜の下に鳥居と手水がありました。
石垣に夢野八幡神社の厄除大祭の看板がありました。
厄除大祭は1月の18・19日です。
これは他の神社でも同じですね。20日もあったかな?
石段には湧き水があり 右側のみの通行になっていました。
ご丁寧にありがたいですね。
手水も湧き水を使っているようでした。
石段を30段ほど上がると社殿があります。
拝殿は新しい建物で 中には入れませんが サッシから中を覗くことはできました。
扁額には 厄除八幡神社とありました。
拝殿内陣には 紙垂と榊が置かれていました。
新しい榊で 地域の方がしっかりお守りしているのが分かります。
奥の本殿は見えませんでした。
境内には末社の春若大明神が鎮座されていました。
けっこう古い石の祠でした。
境内には不思議なものが3つありました。
一つ目はコンクリートで固められた不思議な穴。
井戸があったのかな?
二つ目は地蔵堂のようなもので 中には小さな燈籠のようなもの。
神様が祀られているようではない。
三つ目は窓のある小さなコンクリの部屋。
窓から覗いてみたら空洞で 横穴がある。
社務所はありますが無人でした。
ちなみに御朱印は 後で参拝したのですが 熊野神社でいただけます。
ネット情報です。
主祭神は応神天皇(オウジンテンノウ)
当社は 平清盛の福原新都造営にさきがけ 新都の守護神として治承元年(1177)に創祀されたと伝えられる。
平清盛が 保元平治の乱が終わった翌年(1161)から承安3年(1173)にかけて 兵庫に一大港湾を建設した。
仁安2年(1167)5月 太政大臣を辞し 翌3年(1168)2月出家して入道浄海と称し 神戸・福原に別荘を構え 来住したが 政治の実態は福原にあった。
安元3年(1177)4月 京の都で大火災が発生し 都の三分の一を消失すると共に 引き続く飢饉で京は荒れ果てた。
清盛は復興が遅々として進まぬのに嫌気がさし 急遽8月4日に都を神戸福原に移す決定をなし 年号を「治承」とした。
清盛は自分の荘園・福原荘に新都[東西十町 南北十五町の条里を計画] 福原荘全域が展望できる当神社境内において「のろし」をあげ 新都の位置を測定し 条里を決めたと考えられる。
そして 都の繁栄を祈願して ここに八幡大神を創祀したのであろう。
悲しい記述も見つけました。
夢野八幡神社 最後の厄除大祭終了のご報告
令和7年1月18日・19日の両日 晴天のもとに夢野八幡神社最後の厄除大祭が執り行われました。
この厄除大祭をもちまして 夢野八幡神社の全ての祭祀が完了することとなりました。
長年にわたりご参拝を続けてこられました皆様方に深く感謝いたしますとともに 氏子の減少及び高齢化等の諸事情によりましてこのような事態に至りましたことをお詫びいたします。
令和7年1月吉日 夢野八幡神社氏子一同
昨年で祭祀が終わってしまったのですね。
それでも神社そのものはしっかり管理されている。
これからも末永く残ってほしい神社です。
烏原貯水池から下りて来て 小さな山にある神社です。
鬱蒼と木が茂っている杜の下に鳥居と手水がありました。
石垣に夢野八幡神社の厄除大祭の看板がありました。
厄除大祭は1月の18・19日です。
これは他の神社でも同じですね。20日もあったかな?
石段には湧き水があり 右側のみの通行になっていました。
ご丁寧にありがたいですね。
手水も湧き水を使っているようでした。
石段を30段ほど上がると社殿があります。
拝殿は新しい建物で 中には入れませんが サッシから中を覗くことはできました。
扁額には 厄除八幡神社とありました。
拝殿内陣には 紙垂と榊が置かれていました。
新しい榊で 地域の方がしっかりお守りしているのが分かります。
奥の本殿は見えませんでした。
境内には末社の春若大明神が鎮座されていました。
けっこう古い石の祠でした。
境内には不思議なものが3つありました。
一つ目はコンクリートで固められた不思議な穴。
井戸があったのかな?
二つ目は地蔵堂のようなもので 中には小さな燈籠のようなもの。
神様が祀られているようではない。
三つ目は窓のある小さなコンクリの部屋。
窓から覗いてみたら空洞で 横穴がある。
社務所はありますが無人でした。
ちなみに御朱印は 後で参拝したのですが 熊野神社でいただけます。
ネット情報です。
主祭神は応神天皇(オウジンテンノウ)
当社は 平清盛の福原新都造営にさきがけ 新都の守護神として治承元年(1177)に創祀されたと伝えられる。
平清盛が 保元平治の乱が終わった翌年(1161)から承安3年(1173)にかけて 兵庫に一大港湾を建設した。
仁安2年(1167)5月 太政大臣を辞し 翌3年(1168)2月出家して入道浄海と称し 神戸・福原に別荘を構え 来住したが 政治の実態は福原にあった。
安元3年(1177)4月 京の都で大火災が発生し 都の三分の一を消失すると共に 引き続く飢饉で京は荒れ果てた。
清盛は復興が遅々として進まぬのに嫌気がさし 急遽8月4日に都を神戸福原に移す決定をなし 年号を「治承」とした。
清盛は自分の荘園・福原荘に新都[東西十町 南北十五町の条里を計画] 福原荘全域が展望できる当神社境内において「のろし」をあげ 新都の位置を測定し 条里を決めたと考えられる。
そして 都の繁栄を祈願して ここに八幡大神を創祀したのであろう。
悲しい記述も見つけました。
夢野八幡神社 最後の厄除大祭終了のご報告
令和7年1月18日・19日の両日 晴天のもとに夢野八幡神社最後の厄除大祭が執り行われました。
この厄除大祭をもちまして 夢野八幡神社の全ての祭祀が完了することとなりました。
長年にわたりご参拝を続けてこられました皆様方に深く感謝いたしますとともに 氏子の減少及び高齢化等の諸事情によりましてこのような事態に至りましたことをお詫びいたします。
令和7年1月吉日 夢野八幡神社氏子一同
昨年で祭祀が終わってしまったのですね。
それでも神社そのものはしっかり管理されている。
これからも末永く残ってほしい神社です。

厄除大祭の看板

由来

石段の下に鳥居

手水

30段ほど上がります

石段上がったらすぐ本殿・拝殿

内陣

境内社 春若大明神

鳥居の扁額

石の祠

これは閼伽井屋だったのか?

お地蔵様ではないけど

なんじゃこりゃ

中は空洞 でも横穴が開いている

本殿横から

社務所

下り きついなぁ
すてき
投稿者のプロフィール

くるくるきよせん3352投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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