せきほうじ
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石峯寺ではいただけません
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石峯寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年11月16日(火)
参拝:2021年11月吉日
真言宗 岩嶺山(がんれいさん) 石峯寺(しゃくぶじ)
神戸十三佛霊場の第七番になります。
白雉2年(651年)、第三十六代孝徳天皇の勅願により法道仙人によって開基。
天平19年(747年)には、行基菩薩が薬師堂を建立。
弘仁14年(823年)、第五十二代嵯峨天皇の勅願により三重塔を建立、弘法大師空海上人が訪れて落慶法要を行なわれたそうです。
鎌倉時代には東西2里、南北1里の寺領があり、その中に70余りの僧坊を持つ大寺院だったようですが、応仁の乱、嘉吉の乱、織田・豊臣の毛利征伐等により伽藍は衰退してしまったそうです。
しかし江戸時代に入り、明石城主より70石、その後徳川家光公より13代に亘って70石の朱印寺領を受けたそうです。
境内は自由に参拝することができますが、寺務所は工事中で御朱印は塔頭の竹林寺で拝受することができます。
また公共交通機関を利用して訪れることもできますが、車で行かれることをお勧めします。
神戸十三佛霊場の第七番になります。
白雉2年(651年)、第三十六代孝徳天皇の勅願により法道仙人によって開基。
天平19年(747年)には、行基菩薩が薬師堂を建立。
弘仁14年(823年)、第五十二代嵯峨天皇の勅願により三重塔を建立、弘法大師空海上人が訪れて落慶法要を行なわれたそうです。
鎌倉時代には東西2里、南北1里の寺領があり、その中に70余りの僧坊を持つ大寺院だったようですが、応仁の乱、嘉吉の乱、織田・豊臣の毛利征伐等により伽藍は衰退してしまったそうです。
しかし江戸時代に入り、明石城主より70石、その後徳川家光公より13代に亘って70石の朱印寺領を受けたそうです。
境内は自由に参拝することができますが、寺務所は工事中で御朱印は塔頭の竹林寺で拝受することができます。
また公共交通機関を利用して訪れることもできますが、車で行かれることをお勧めします。
参道入口
仁王門
仁王門の柱
「風来坊」の文字の横にある木の節が、人の顔にしか見えなくて思わず写真を撮りました。
さらに下にある節はハムスターに見えてしまうのは私だけ?
「風来坊」の文字の横にある木の節が、人の顔にしか見えなくて思わず写真を撮りました。
さらに下にある節はハムスターに見えてしまうのは私だけ?
仁王門をくぐって、塔頭である十輪院と竹林寺の前を通り200mほど進むとようやく石峯寺の境内入口に到着
階段の右手に鼓楼、左手に鐘楼があります。
階段の右手に鼓楼、左手に鐘楼があります。
境内に入ると正面に本堂が見えます
本堂
本堂の彫刻
本堂内
御本尊 延命地蔵菩薩の説明
本堂斜め前方から
薬師堂(国重文)
聖武天皇の勅願により天平19年(747年)に行基菩薩により建立。
明応年間(1492-1500)頃に再建されたものだそうです。
聖武天皇の勅願により天平19年(747年)に行基菩薩により建立。
明応年間(1492-1500)頃に再建されたものだそうです。
薬師堂内部
薬師如来、日光、月光菩薩、十二神将が安置されているそうです
「瑠璃殿」の扁額がかかっています。
薬師如来の別名「薬師瑠璃光如来」からきているんでしょうね。
薬師如来、日光、月光菩薩、十二神将が安置されているそうです
「瑠璃殿」の扁額がかかっています。
薬師如来の別名「薬師瑠璃光如来」からきているんでしょうね。
手水舎
三重塔(国重文)
嵯峨天皇の勅願により弘仁14年(823年)に建立。
嘉吉の乱の兵火により焼失したが、天正16年(1588年)に再建。
嵯峨天皇の勅願により弘仁14年(823年)に建立。
嘉吉の乱の兵火により焼失したが、天正16年(1588年)に再建。
鼓楼
長久萬聖観音
石峯寺88ヶ所巡りのスタート地点
方丈池
観音様が中央にいらっしゃいます
観音様が中央にいらっしゃいます
だいぶ色付いてきました
石峯寺からの景色
正面に見えている黒い屋根が塔頭の竹林寺です。
正面に見えている黒い屋根が塔頭の竹林寺です。
御朱印
すてき
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