ろくじょうはちまんぐう
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六條八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年03月21日(月)
参拝:2022年3月吉日
御祭神は応神天皇ということで、神功皇后に関係する神社となります。
神功皇后が三韓征伐(新羅征伐)に向かう途中、丹生都比売命の御神託により「我が山の丹土で舟、兵具を塗り、軍衣を染め、丹浪を以て出陣すれば勝利疑いなし」とのことから、この地で行宮を営んだ所だったそうです。
その後、長徳元年(995年)に弘法大師の弟子である基燈法師が立ち寄った際、黒木の宝殿一宇(若宮八幡宮)を建立。
さらに保安4年(1123年)、六條判官源為義が丹生山田庄の領主のときに、京の左女牛八幡大神を勧請合祀し、古の若宮八幡宮を再造。
これにより御神威が増し多くの人の崇敬を集めたため、為義の称号をとって六條八幡宮となったそうです。
この源為義は、源頼朝や義経の祖父になります。
六條八幡宮には、神宮寺として円融寺というお寺があったそうですが明治初年に廃寺となりました。
その名残として、境内には三重塔や薬師堂が残されています。
ちなみに全国で国指定重要文化財の三重塔は56基、そのうちの全国の神社にある塔は16基。
兵庫県内には3基とのこと。
ここ六條八幡宮と、名草神社? あと一つは・・・柏原八幡宮?
柏原八幡宮の三重塔もとても立派だったけど、兵庫県指定だったような。
名草神社は行ってみたいけど、ちょっと遠いかな。
ご近所の方のウォーキングコースなのか、身軽な格好でお参りしてはすぐにまた歩いていかれたり、年配の方は舞台にもたれかかって休憩されたりしていました。
地元の方の生活の一部に溶け込んでいる神社なんでしょうね。
神功皇后が三韓征伐(新羅征伐)に向かう途中、丹生都比売命の御神託により「我が山の丹土で舟、兵具を塗り、軍衣を染め、丹浪を以て出陣すれば勝利疑いなし」とのことから、この地で行宮を営んだ所だったそうです。
その後、長徳元年(995年)に弘法大師の弟子である基燈法師が立ち寄った際、黒木の宝殿一宇(若宮八幡宮)を建立。
さらに保安4年(1123年)、六條判官源為義が丹生山田庄の領主のときに、京の左女牛八幡大神を勧請合祀し、古の若宮八幡宮を再造。
これにより御神威が増し多くの人の崇敬を集めたため、為義の称号をとって六條八幡宮となったそうです。
この源為義は、源頼朝や義経の祖父になります。
六條八幡宮には、神宮寺として円融寺というお寺があったそうですが明治初年に廃寺となりました。
その名残として、境内には三重塔や薬師堂が残されています。
ちなみに全国で国指定重要文化財の三重塔は56基、そのうちの全国の神社にある塔は16基。
兵庫県内には3基とのこと。
ここ六條八幡宮と、名草神社? あと一つは・・・柏原八幡宮?
柏原八幡宮の三重塔もとても立派だったけど、兵庫県指定だったような。
名草神社は行ってみたいけど、ちょっと遠いかな。
ご近所の方のウォーキングコースなのか、身軽な格好でお参りしてはすぐにまた歩いていかれたり、年配の方は舞台にもたれかかって休憩されたりしていました。
地元の方の生活の一部に溶け込んでいる神社なんでしょうね。
すてき
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