ぶんぽうじ|天台宗|松尾山
文保寺のお参りの記録一覧

丹波篠山紅葉の寺廻りで訪れました🍁
丹波篠山もみじ三山天台宗三寺の2つ目です。
駐車場からは少し歩きます。
ハートマークのある木があります❤️
季節の御朱印です。

文保寺 丹波篠山もみじ三山
文保寺 丹波篠山もみじ三山
文保寺 丹波篠山もみじ三山
文保寺 丹波篠山もみじ三山
文保寺 丹波篠山もみじ三山
文保寺 丹波篠山もみじ三山

お参りしました。文保寺から坂道300メートルほど登ると本堂があります。本堂の帰りにお寺に寄りましたが、対応される方がいないとの事で、上下のお寺で記帳して貰って下さいと言われ、観明院さんで御朱印を頂きました。3箇所あるお寺で対応して頂ける様です。
直書き御朱印です。観明院で頂きました。
山門。
花手水。
本殿の手水舎。
花手水。
本堂です。
鐘。

天台宗 松尾山 文保寺
「丹波篠山もみじ三山」の一つで、昨年に引き続きもみじ三山巡りの最後に文保寺をお参りしました。
三山をすべてお参りすると「もみじ三山朱印」がいただけます。
こちらもお参りするのが10日ほど遅かったようで、残念ながらもみじはほとんど散っていました。
それでもこちら文保寺本堂に施された中井権次橘正貞作の彫刻を今年も見ることができただけで大満足です。
さらにこのもみじ三山の期間(11月1日~11月30日)は、本堂内でお参りすることができます。
本堂内の欄間がとても見事で、迦陵頻伽をはじめ管楽器や打楽器を演奏する天人が彫られていて、昨年初めて見たときには見惚れてため息が出るほどでした。
楼門(仁王門)
仁王像(阿形)
650年近く寺院を守護し続けてきているそうです
仁王像(吽形)
このもみじは見頃でしたが、他の木は既に散っていました
本堂
本堂内欄間
許可をいただいて撮影させていただきました
こちらは本堂内に飾られていた篠山藩主が使用されていた駕籠だそうです
向拝の龍や獅子の彫刻
本堂の正面扉の彫刻
全部で12枚あるのですが、今回は一部だけ。
前回投稿ですべての扉彫刻を投稿しています。
左側は「巣父(そうほ)」
古代中国の隠者で人格清廉潔白な人
右は「許由(きょゆう)」
こちらも古代中国の隠者で人格は清廉潔白。
川の水で耳をすすいでいる様子なのだそうです。
左「李白観瀑」
唐時代の大詩人で、滝を見て詩を詠んでいる姿
右「菊慈童」
周の王に仕えた慈童。
「吽の龍」
手挟みの彫刻も細部まできれいです
法道仙人塔
もみじ三山朱印

丹波篠山の参拝、文保寺に参りました。
町から車で少し入る程度ですが、山深き風情。大好物です。雪も残っていていい感じでした。私以外にも参拝やバードウトッチと思われる方も少しいらっしゃる感じで、大変静か。ほっとできます。
塔頭寺院は個々で書き込みますが、ご不在のお寺もあったのでまた来たいと思います。
御朱印頂きました。文保寺の寺務所は眞如院にあります。
一番最初に仁王門。これぞ山寺という感じです。
雪残る参道。大雪のしばらく後です。
本堂への階段。
本堂。
梵鐘。
法道仙人供養塔。
本堂下からの風景

天台宗 松尾山 文保寺
「丹波篠山もみじ三山」巡り、最後は文保寺です。
今年の8月にこの文保寺さんに初めてお参りしたことで、このもみじ三山のことを知り、この時期になるのを心待ちにしていました。
夏にお参りした際には他に参拝される方はまったくおられず、とても静かなところだなと思っていたのですが、このもみじ三山巡りの時期は多くの方が訪れていました。
受付で入山料を支払い、「もみじ三山」の三寺すべてを巡ったということで「もみじ三山朱印」をいただきました。
そして受付の方が、「御朱印は本堂で受け付けてますので」と。
えっ!前回本堂は閉まっていて、御朱印は塔頭寺院でいただいたのに、本堂に入れるとは思ってもおらず喜び勇んで本堂に続く参道へと歩を進めました。
なぜ本堂に入れるのがそこまでうれしいかと言うと、本堂内の欄間彫刻をこの目で直に見れるから!!
本堂の欄間には、迦陵頻伽(かりょうびんが)を中心として、笙(しょう)・龍笛(りゅうてき)・篳篥(ひちりき)という管楽器と、鈸(はち)・鞨鼓(かっこ)・釣太鼓という打楽器を演奏する天人が彫られているんです。
しかも中井権次の作ということで、とても価値ある彫刻なんです。
本堂に入るとご住職自ら御朱印を書いてくださります。
その間本堂でお参りさせていただいた後、じっくりと欄間を眺めていると直に見るだけでも贅沢な気分なのに、写真に撮りたくなってしまいました。
ご住職に恐る恐る撮影のお許しを伺うと、「どうぞ、どうぞ」と快諾くださいました。
本当にありがとうございました。
さて本題のもみじですが、文保寺さんのもみじはまだ少し早かったみたいで、全体的にはオレンジっぽい感じでした。
でもこれはこれで、きらきらしていて個人的には好きなんですけどね。
今週末以降が見頃かもしれませんね。
<縁起>文保寺HPより
文保寺は、大化元年(645年)に法道仙人によって開かれ、自作の聖観世音菩薩を本尊として安置し、聖備山長流寺と称されていました。
最盛期には堂舎21坊を数えたと云われ、元禄6年(1693年)の寺社改帳には、自光院、龍花院、真如院、観明院、源智坊、行定坊、一乗院、吉祥坊、西教坊、常光坊、中蔵坊、教蔵坊、善光坊、宝住坊、本性坊、本仙坊、泉蔵坊、山本坊、極楽坊、持正坊、理教坊の5院16坊があったと記されています。
開基より聖備山長流寺と称されていましたが、天暦の乱(947年)に堂舎悉く焼失。
正和年間(1312~1317年)花園天皇の御代に慈覚大師作という千手観世音菩薩を安置し再興されました。
文保年間(1317~1319年)宝鏡寺の宮門跡一品親王真筆の勅額を下賜されて以後、「文保寺」と称します。
天正年間(1573~1592年)に明智光秀の丹波攻めに遭い、再び全山悉く灰燼に帰しました。
江戸時代中頃になって復興、真如院、大勝院、観明院、本覚院、林城院、慈明院の6院となり、現在は、真如院、大勝院、観明院の3院となっています。
ご本尊 聖観世音菩薩 千手観世音菩薩
ご詠歌
おろかなる ひとをもすくふ ねがいとや ましておしへの文保つみは
楼門(仁王門)
永和4年(1378年)、侍従法眼と弁法橋という仏師の作という仁王像が祀られています
では本堂を目指します。
夏にお参りした際には人っ子一人いなかったんですけどね
まだまだ緑も残っていますが、十分魅了してくれます
山薄荷(ヤマハッカ)...だと思う😅
本堂
本堂中央の欄間
中央に迦陵頻伽、右側には笙を奏でる天人、左側には龍笛を持つ天人
向かって右側の欄間
左は鞨鼓、右は鈸を演奏する天人
向かって左側の欄間
左は釣太鼓、右は篳篥を演奏する天人
本堂内より
手挟み(クジャク)
贔屓ちゃんもいました!
本堂の正面扉の彫刻(右側4枚)
右から龍(阿形)、鷹、郭子儀、龍(吽形)
本堂の正面扉の彫刻(中央の右2枚)
右から菊慈童、李白観瀑
本堂の正面扉の彫刻(中央の左2枚)
右から許由、巣父
本堂の正面扉の彫刻(左側4枚)
右から獅子(阿形)、張良、黄石公、獅子(吽形)
向拝の龍
その上には獅子
向拝の龍の裏には「中井権次」の銘
本堂から参道方面の景色
ここでも蛇ちゃん登場です
林城院
御朱印
御詠歌
もみじ三山朱印

天台宗 松尾山 文保寺
丹波篠山もみじ三山の一つ。
宝橋山高蔵寺、安泰山大国寺、そしてこの松尾山文保寺。
毎年11月1日~末日までの期間、この三つのお寺をまわると「もみじ三山朱印」をいただけるそうです。
今回、この文保寺をお参りさせていただいたのは、本堂の彫刻を見たいから!
六代目「中井権次橘正貞」の彫刻がふんだんにあるんです。
中井権次橘正貞とは、丹波地方で活躍した彫物師の中井家六代目になります。
本堂の扉には、人物と動物の透かし彫りが12枚もあり、向拝にも龍などの彫刻があります。
本堂内にも極楽浄土に住んで美しい声で歌うという迦陵頻伽の彫刻もあるそうですが、こちらは今回は拝見することができませんでした。
大化元年(645年)法道仙人により、孝徳天皇の勅命を受けて、自作の聖観世音菩薩を本尊として安置し開創されたのが始まり。
当初は「聖備山長流寺」と称されていたようです。
天暦の乱(947年)により堂舎を焼失して荒廃。
正和年間(1312~1317年)花園天皇の御代になって、慈覚大師作の千手観世音菩薩を比叡山から迎えて「文保寺」として再興。
最盛期には堂舎21坊を数えたそうですが、明智光秀の丹波攻めの際に再び焼失。
江戸時代になって、復興したとのこと。
文保寺の御朱印は、塔頭(真如院、大勝院、観明院)のいずれかで拝受することができます。
今回は真如院さんでいただきました。
今年の11月には「もみじ三山巡り」で改めてお参りしたいと思います。
楼門(仁王門)
楼門の先に見えている鳥居は昨日投稿した二村神社の鳥居です
近くでじっくり観察。
なかなかいい楼門です。
とても迫力のある仁王像もいらっしゃいましたが、ガラスで反射してうまく撮影できなかったので断念。
この仁王像は、永和4年(1378年)、侍従法眼と弁法橋という仏師の作だとか。
楼門の説明
楼門から文保寺本堂まで約500mの参道です。
途中の塔頭寺院を横目に本堂を目指します。
本堂
向拝の彫刻
もっときれいに撮れればよかったんですが。。
本堂扉の彫刻、全部で12枚。
まずは一番左の2枚から。
法道仙人塔
鐘楼
右:愛宕社、左:山王社
御朱印
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