御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
諏訪神社ではいただけません
広告

すわじんじゃ

諏訪神社のお参りの記録(1回目)
兵庫県丹波大山駅

投稿日:2022年08月28日(日)
参拝:2022年8月吉日
周辺は田畑が多く、住宅もまばらなのでとても静かなところでした。

天平勝宝(749~757)のころ、信濃国(長野県)諏訪大社のご分霊をこの地に勧請したものと伝えられています。
ご祭神は、建御名方神(男神)、八坂刀売神(妃神)、八重事代主神(兄神)

丹波篠山市のHPに以下のような記載がありましたので、転載させていただきます。

『大昔のあるとき、古佐(丹南町)の与佐九郎という者が信州の諏訪大社にお参りしての帰途、丹波に行くという娘さんと道連れになった。ついに、吹(丹南町)の雲岡山付近まで帰ってきたので、「あんたは、一体どこまで行くのか」と尋ねると、娘は身を翻して、大川の淵に飛び込んでしまった。
与佐九郎が驚いて助けようとすると、娘の姿は大蛇となって「我は諏訪明神なり、五穀豊穣、安産さそう」といい、岡屋の山を七巻半して、この地に鎮まられたとのことである。

往古より、山中の大木を神奈備として祭ってきたが、明治39年に初めて社殿を建てた。
境内には三光稲荷神社・白山神社・春日神社・大歳神社・八幡神社・災除神社などがある。
富の山とは、刀売神からで、飛の山・刀美の山ともいい、東の小川を富の川と言っている。
この山には永禄・天正(1558~92)のころ、八上城主波多野秀治の重臣渋谷伯耆守氏秀が弟氏昌・昌時・重則とともに居城とした城跡があり、山上が主郭で、南側に堀切、土塁の一部が残り、西南に妙見堂がある。』
諏訪神社の鳥居
一の鳥居
諏訪神社の鳥居
二の鳥居
諏訪神社の本殿
拝殿
諏訪神社の本殿
本殿
諏訪神社の末社
本殿右側の末社
災除神社
諏訪神社の末社
本殿左側の末社
右側は詳細不明、左側は大歳神社
諏訪神社の末社
同じく本殿左側の末社
右側は三光稲荷神社、左側は金刀比羅神社
諏訪神社の末社
さらに左方向には赤鳥居が続きます
おそらくこの先は三四郎稲荷神社だと思います。
ただなんとなく気が進まなかったのでお参りはしていません。
こんなこと初めてかも。。
諏訪神社の末社
拝殿の右手前にある社殿
詳細は不明です
諏訪神社の建物その他
社務所
無人でした
諏訪神社の手水
手水
諏訪神社の建物その他
諏訪神社の歴史
諏訪神社の歴史

すてき

みんなのコメント0件)

ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
諏訪神社の投稿をもっと見る1件
コメント
お問い合わせ