すわじんじゃ
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諏訪神社ではいただけません
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諏訪神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年08月28日(日)
参拝:2022年8月吉日
周辺は田畑が多く、住宅もまばらなのでとても静かなところでした。
天平勝宝(749~757)のころ、信濃国(長野県)諏訪大社のご分霊をこの地に勧請したものと伝えられています。
ご祭神は、建御名方神(男神)、八坂刀売神(妃神)、八重事代主神(兄神)
丹波篠山市のHPに以下のような記載がありましたので、転載させていただきます。
『大昔のあるとき、古佐(丹南町)の与佐九郎という者が信州の諏訪大社にお参りしての帰途、丹波に行くという娘さんと道連れになった。ついに、吹(丹南町)の雲岡山付近まで帰ってきたので、「あんたは、一体どこまで行くのか」と尋ねると、娘は身を翻して、大川の淵に飛び込んでしまった。
与佐九郎が驚いて助けようとすると、娘の姿は大蛇となって「我は諏訪明神なり、五穀豊穣、安産さそう」といい、岡屋の山を七巻半して、この地に鎮まられたとのことである。
往古より、山中の大木を神奈備として祭ってきたが、明治39年に初めて社殿を建てた。
境内には三光稲荷神社・白山神社・春日神社・大歳神社・八幡神社・災除神社などがある。
富の山とは、刀売神からで、飛の山・刀美の山ともいい、東の小川を富の川と言っている。
この山には永禄・天正(1558~92)のころ、八上城主波多野秀治の重臣渋谷伯耆守氏秀が弟氏昌・昌時・重則とともに居城とした城跡があり、山上が主郭で、南側に堀切、土塁の一部が残り、西南に妙見堂がある。』
天平勝宝(749~757)のころ、信濃国(長野県)諏訪大社のご分霊をこの地に勧請したものと伝えられています。
ご祭神は、建御名方神(男神)、八坂刀売神(妃神)、八重事代主神(兄神)
丹波篠山市のHPに以下のような記載がありましたので、転載させていただきます。
『大昔のあるとき、古佐(丹南町)の与佐九郎という者が信州の諏訪大社にお参りしての帰途、丹波に行くという娘さんと道連れになった。ついに、吹(丹南町)の雲岡山付近まで帰ってきたので、「あんたは、一体どこまで行くのか」と尋ねると、娘は身を翻して、大川の淵に飛び込んでしまった。
与佐九郎が驚いて助けようとすると、娘の姿は大蛇となって「我は諏訪明神なり、五穀豊穣、安産さそう」といい、岡屋の山を七巻半して、この地に鎮まられたとのことである。
往古より、山中の大木を神奈備として祭ってきたが、明治39年に初めて社殿を建てた。
境内には三光稲荷神社・白山神社・春日神社・大歳神社・八幡神社・災除神社などがある。
富の山とは、刀売神からで、飛の山・刀美の山ともいい、東の小川を富の川と言っている。
この山には永禄・天正(1558~92)のころ、八上城主波多野秀治の重臣渋谷伯耆守氏秀が弟氏昌・昌時・重則とともに居城とした城跡があり、山上が主郭で、南側に堀切、土塁の一部が残り、西南に妙見堂がある。』
一の鳥居
二の鳥居
拝殿
本殿
本殿右側の末社
災除神社
災除神社
本殿左側の末社
右側は詳細不明、左側は大歳神社
右側は詳細不明、左側は大歳神社
同じく本殿左側の末社
右側は三光稲荷神社、左側は金刀比羅神社
右側は三光稲荷神社、左側は金刀比羅神社
さらに左方向には赤鳥居が続きます
おそらくこの先は三四郎稲荷神社だと思います。
ただなんとなく気が進まなかったのでお参りはしていません。
こんなこと初めてかも。。
おそらくこの先は三四郎稲荷神社だと思います。
ただなんとなく気が進まなかったのでお参りはしていません。
こんなこと初めてかも。。
拝殿の右手前にある社殿
詳細は不明です
詳細は不明です
社務所
無人でした
無人でした
手水
すてき
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