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石龕寺ではいただけません
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せきがんじ

石龕寺のお参りの記録(1回目)
兵庫県久下村駅

投稿日:2023年07月12日(水)
参拝:2023年6月吉日
高野山真言宗 岩屋山 石龕寺

氷上郡西国霊場 第13番札所
丹波古刹15ヶ寺霊場 第5番札所

丹波もみじめぐり十ヶ寺の一つです。

一度お参りしたいと思っていたお寺の一つで、今回初めてお邪魔させていただきました。
15時をまわった頃にお参りさせていただいたので、参拝される方もほぼいらっしゃいませんでしたが、山の中ということもあり、とっても静かで青もみじに囲まれていると、何もかも忘れてただただ時間が過ぎていくように感じました。

毘沙門堂(本堂)にてお参り後、奥の院まで800mということだったので、頑張ればたどり着けるかな?と思ったのですが、これが結構きつい登りの山道で、途中で断念してしまいました。
秋のもみじめぐりもできればしたいと思ってるので、その際にはリベンジしたいと思います。

<縁起>境内案内板より
用明天皇の丁未の年(587年)聖徳太子によって開かれた毘沙門天信仰の聖地となります。
「石龕」とは石窟・岩屋のことで石窟内に仏さまをまつることを意味します。
今の本堂より山の上800mに「奥の院」がありますが、そこが石窟で石龕寺の発祥です。
仁王門は鎌倉時代のもので仁王像は仁治3年(1242年)仏師定慶の作で国の重要文化財です。
室町時代、足利尊氏の帰依を受け、二代将軍になった義詮公が一時逗留した寺(太平記二十九巻)でもあります。
天正7年(1579年)織田信長の丹波攻めに遭い一山ことごとく焼失、仁王門のみ残すことになりました。
江戸時代以後、衰微の中で法燈を護り、昭和時代の晩年から、もみじの寺、足利氏の寺、仁王像の寺として脚光を浴び、平成6年奥の院(石窟)を復興、鐘楼堂を建立して山野に名鐘がこだまする寺となりました。
石龕寺の御朱印
石龕寺の建物その他
石龕寺の山門
仁王門
石龕寺の山門
石龕寺の像
仏師定慶作の仁王像
石龕寺の像
石龕寺の自然
仁王門を抜けると青もみじのトンネルが続く参道
石龕寺の自然
石龕寺の建物その他
石龕寺の本殿
石龕寺の手水
石龕寺の本殿
毘沙門堂(本堂)
石龕寺の建物その他
石龕寺の建物その他
薬師堂
石龕寺の建物その他
仏足石
石龕寺の歴史
石龕寺の歴史
石龕寺の建物その他
石龕寺の仏像
不動明王
石龕寺の像
奥の院へ向かう道の入り口には七福神像
石龕寺の建物その他
石龕寺の建物その他
奥の院へここから向かいます
石龕寺の建物その他
護摩場
石龕寺の建物その他
頑張って残り500mのところまで来たのですが・・・
このあと断念する羽目になりました😅
石龕寺の末社
境内にある焼尾神社
石龕寺の鎮守社になります
石龕寺の手水
石龕寺の末社
石龕寺の建物その他
仁王門前にあった町石
石龕寺の建物その他

すてき

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