えにちじ|臨済宗妙心寺派
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臨済宗妙心寺派 萬松山 慧日寺(えにちじ)
丹波古刹十五ヶ寺霊場 第3番札所
丹波もみじめぐり十ヶ寺の一つです。
慧日寺さんに到着したのが午後4時。
丹波もみじめぐりもようやくこちらで10ヶ寺目ということで、なんとかギリギリ間に合いました。
時間も遅いことだし拝観は難しいだろうなと思い御朱印だけいただこうとしたところ、ご住職から「よろしければ拝観されませんか?」と有難いお言葉をかけていただきました。
庫裏の玄関に入るとまずは虎の衝立画がお出迎え。
そしてその奥の座敷に進むと大きな屏風画が飾られていました。
方丈の裏に進むと、今度は緑豊かな庭園が広がります。
秋になると一面紅葉でまた違った顔を見せてくれるんでしょうね。
庭園を横目に進んでいくと仏殿に繋がる渡り廊下へ。
仏殿に入ると釈迦三尊像(釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩)が安置されていて、すぐ間近で拝むことができます。
そして仏殿を後にして方丈正面を通り庫裏へと戻りました。
紅葉の季節であれば多くの方が訪れるのでしょうが、今回はほかの参拝者はいらっしゃらずこの景色を独り占めできて幸せな時間でした。
<縁起>慧日寺パンフレットより
慧日寺は、永和元年(1375年)足利三代将軍の管領 細川頼之と、弟で養子の頼元により建立された。
開山の特峯禅師は、鎌倉の円覚寺開山仏光国師の孫弟子であり、中国より帰朝この地で庵を結び大衆教化に努めた。
管領細川頼之の権威とともに、ここ萬松山慧日寺は塔頭寺院十八ヶ寺、末寺四十六を算え、草深いこの地は一大法域として教化の中心となった。
しかし、開山禅師滅後、世は戦乱の世となり堂宇は明智光秀の丹波攻めの戦火で天正3年(1575年)に焼失した。
寛永の頃、妙心寺から来山した大愚、別心の両禅師により再興されたが、寛文7年(1667年)の失火のため再度堂宇が全焼した。 今の建物は、本山の支援もあり寛文の頃(1670年代)以降に再建されたものです。

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