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やまのうえだいじんぐう

山上大神宮の御由緒・歴史
北海道 大町駅

ご祭神天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
手置帆負命 彦狭智命(たおきほおいのみこと ひこさじりのみこと)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
迦具土神 火産霊神(かぐつちのかみ ほむすびのかみ)大己貴命(おおなむちのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
創建時代応安年間
創始者藤坊
ご由緒

函館山の麓、幸坂の急勾配を登りきった最上部に位置し函館の街を見下ろす山上大神宮。
神社の草創は17世紀末まで遡るといわれ、当時は神明宮と称していました。1882(明治15)年に現在地である船見町に移転し、現建築は1932(昭和7)年に竣工しました。銅版葺きの神社建築で、神社建築では函館市では唯一、景観形成指定建築物に指定されています。
山上大神宮8代神職の澤辺琢磨が土佐藩士で、坂本龍馬とは親類関係にあったことや、箱館戦争で榎本武揚率いる旧幕府脱走軍に加わった桑名藩主の松平定敬の御座所に使用されたことなどは、この神社の長い歴史を伝えるエピソードです。
(函館・みなみ北海道観光ガイド公式HPから引用)

歴史
由緒[編集] 社伝によると、応安年間(1368 - 75年)に藤坊という修験者が伊勢神宮の分霊を現在の函館市郊外にあたる亀田赤川村に祀ったのが始まりという。明暦元年(1655年)5月に尻沢辺村(現函館市住吉町)に遷座して「箱館神明宮」と称し、天和2年(1682年)に弥生町に再度遷座した(現西消防署弥生出張所付近)。幕末の箱館戦争で榎本武揚の率いる旧幕府軍に加わった桑名藩主松平定敬の御座所とされ、明治7年(1874年)に当時の地名山ノ上町にちなんで「山上大神宮」と改称、同9年(1876年)郷社に列した。同11年(1878年)11月と翌12年12月の大火で類焼したため、一時住吉町の住吉神社に...Wikipediaで続きを読む
引用元情報山上大神宮」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE&oldid=94838414

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