はやたにじんじゃ
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速谷神社ではいただけません
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速谷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月27日(土)
参拝:2023年3月吉日
【安藝國 式内社巡り】
速谷神社(はやたに~)は、広島県廿日市市上平良にある神社。式内社(名神大社)で、安藝國二之宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は飽速玉男命(あきはやたまお)。厳島神社、多家神社とともに「安芸国三社」とも言われる。
創建は不詳。社伝によると、千七百有余年の古社とされる。『日本後紀』では811年に名神に列格、『日本三代実録』では859年に神階奉授、867年に神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』では「安藝國 佐伯郡 速谷神社 名神大 月次 新嘗」と記載され、国家鎮護の神社として毎年月次祭、祈年祭、新嘗祭の三祭に神祇官の奉幣に預り、山陽道最高の社格を誇った。古くは安藝國一之宮であったとされるが、平氏が嚴島神社を崇敬するにつれ当社は嚴島神社の摂社となり安藝國二之宮と称されるようになった。室町時代以降は当地領主の崇敬を受け、桜尾城主・藤原親実以下歴代城主、戦国大名の大内義隆、毛利元就、広島藩主・浅野光晟以下歴代藩主が篤く崇敬し、社領、神宝を寄進し、社殿の造営、修復を行った。明治に入り近代社格制度のもと、最終的には国幣中社に列格した。
当社は、JR山陽本線・宮内串戸駅の北西1.8kmの、国道433号線沿いの平地にある。南側から国道を進むと正面に当社の鳥居が見える配置(当社手前で道が逸れる)になっているので分かりやすい。境内はかなり広々としていて、長い参道の先に大きな楼門、さらに進んで瑞垣に囲まれた広い神域、両翼殿を備えた立派な社殿と、いかにも別表神社らしい豪壮な造り。
今回は、安藝國の式内社、安藝國二之宮、旧国幣中社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、自分以外に数人参拝者が訪れていた。
境内南東端にある<鳥居>と<社号標>。南から国道433号線を北上すると当社に突き当たる。
昔はこの国道は当社の参道だったのかな。(。´・ω・)?
昔はこの国道は当社の参道だったのかな。(。´・ω・)?
参道を進むと<注連柱>があり、その先はほんのり薄暗い社叢の中を進む。
社叢を抜けたところにある<楼門>。大きく立派。
楼門をくぐったところからの眺め。広々として明るい境内。
参道左側の<手水舎>。
手水舎の後方、離れたところにある<儀式殿>。
当社は古来、山陽道を往来する旅人が長旅の平安を祈願したことから、現在でも「交通安全の神」として知られており、広島電鉄の電車やバスが御祓いを受けることでも有名とのこと。
当社は古来、山陽道を往来する旅人が長旅の平安を祈願したことから、現在でも「交通安全の神」として知られており、広島電鉄の電車やバスが御祓いを受けることでも有名とのこと。
参道右手の<神楽殿>(左)と<斎館>(右)。
参道を進んで、一段高いところにある<神門>。
神門の右手にある<神宝館>。
<神門>をくぐる。太く力強い注連縄が印象的。
<拝殿>全景。非常に豪壮な造り。
参道左手の<狛犬>。
参道右手の<狛犬>。
<拝殿>正面。
拝殿から振り返った眺め。
拝殿に向かって右斜め後ろにある<社務所>。御朱印はこちら。
拝殿の左側にある<直会殿>。拝殿とは屋根付き廊下で繋がっている。
手前にあるのは<安芸国造碑>。祭神の飽速玉男命は天孫降臨に附随した32柱の神のうち天湯津彦男命の五世孫とされ、『国造本記』では「阿岐国造」として記載されている。
手前にあるのは<安芸国造碑>。祭神の飽速玉男命は天孫降臨に附随した32柱の神のうち天湯津彦男命の五世孫とされ、『国造本記』では「阿岐国造」として記載されている。
社殿の左側にある<岩木神社>の鳥居。
社殿の左側にある<岩木神社>の社殿。古墳のように盛り上がった場所の頂にある。
社殿の右側にある<稲荷神社>の鳥居と社殿。
拝殿後ろの<本殿>。大きな拝殿と比べるとコンパクトな大きさ。
拝殿の右側にある<祓殿>。拝殿とは屋根付き廊下で繋がっている。
最後に、大きく立派な<楼門>。左脇に「國幣中社 速谷神社」と刻まれた社号標がある。
すてき
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惣一郎1269投稿
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