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にぎつじんじゃ

饒津神社の御由緒・歴史
広島県 白島(広電)駅

ご祭神《主》浅野長政,浅野末津姫,浅野幸長,浅野長晟,浅野長勲
ご由緒

宝永3年(1706)綱長公(浅野家第6代・芸州浅野家藩主第4代)の時に、広島城の艮(うしとら/東北鬼門)の方位に当る明星院客殿西方に長政公の位牌堂を建立。
さらに長政公200回御忌に当る文化7年(1810)に斎賢(なりかた)公(浅野家第10代)、前藩主重晟(しげあきら)公(浅野家9代)と共に新たに壮麗な位牌堂を建立した。この位牌堂は饒津神社の先駆的なものであり、この時奉納された文化年間の燈篭や大石水盤等は後に饒津神社創立と共に境内に移されて現存している。 長政公を神として奉祀することは重晟公以来内慮があり 天保6年(1835)11月斎粛(なりたか)公(浅野家11代)が祖先追孝のため社殿を現在地(明星院西方)に造営、二葉山御社と称した。
二葉山の名は饒津神社創祀の際に金葉集・摂政左大臣藤原忠通卿の歌「いかばかり 神もうれしと 三笠山 二葉の松の 千代のけしきを」 新続古今集・後徳大寺左大臣の歌「住吉の 松は昔の 二葉より 久しき事の ためしにぞひく」より藩執政関蔵人らによって命名されたものである。これより明星院山であった背後の山は二葉山と呼ばれるようになった。
御神号は京都・吉田良長に草案を依頼し、「蒼垣・饒津・功健・瑞国・振玉」の五通りが示され、長懋(ながとし)公(斎粛公の叔父)の御選択により「饒津大明神」と定められた。

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