にぎつじんじゃ
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饒津神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年10月29日(土)
参拝:2022年10月吉日
広島④二葉の里地区の神社はこちらで最後。少し電動自転車に慣れてはきましたが、相変わらずスマホのナビは余り正確に自分の位置を認識せずにあちこち遠回りさせられてしまいます。それでも当初、バスや徒歩で神社巡りをしようと思っていたのが、自転車のおかげで予定を大幅に短縮出来ました。こちらの神社は敷地がが広くゆったりした感があります。広島浅野藩の藩主などが祀らていますが、参拝者は少なく静かなもんです。社務所は開いていず、入り口に書置きの御朱印が用意されていました武将好きの私としては少し残念。
普段、あまり原爆のことを意識していなかったのですが、多くの被爆建造物や説明板を読む機会に触れ、よくここまで復興したものだと感心するとともに、平和が一番と再認識しました。
普段、あまり原爆のことを意識していなかったのですが、多くの被爆建造物や説明板を読む機会に触れ、よくここまで復興したものだと感心するとともに、平和が一番と再認識しました。
社号標
注連柱(被爆建造物)明治43年(1910)御祭神「浅野長政」公300年祭の際に奉納、広島県最大規模
常夜灯
灯籠
被爆松 最後に残った日幕末の切り株
覆屋はこの松の木材を使用
参道 多くの浅野家家臣が奉納した石灯篭が多くあります。
狛犬
両部鳥居原爆により神社は悉く灰燼に帰したが、400年祭を迎えるに当って、記念事業の一環として、原爆で失われていた宮島型の檜造大鳥居(両部鳥居)を平成17年・60余年振りに復元
手水舎(被爆建造物)
向唐門 昭和20年原爆で焼失した旧向唐門の礎石の上に再建。龍の彫刻等細部を忠実に復元した(礎石は原爆当時のまま残した)。向唐門は格式上将軍や藩主を祀る神社に用いられた。平成12年8月、再建。
扁額
細長い長方形の石材を横に3段に積んだ単純な布積みであるが、使用されている石材は一つずつが長大で、それまでの石垣の概念とはかけ離れた趣である。
この石垣に連なる「25m幅の石段」は江戸時代までに参道として作られた階段の中では、間口の広さ、長大な切石を使っている点で、拝殿前乱積とともに江戸時代のものとしては最大級のものと評価される。
拝殿
扁額
賽銭箱
灯籠
浅野長勲公頌徳碑 浅野家第14代・芸州広島藩最後の藩主。広島県初代知事(県令)
本殿
天保六年奉納の灯籠
境内社鳥居
境内社 稲荷神社
御陣中御手水鉢
御祭神「浅野長政」公が肥前国、名護屋城(佐賀県)内御陣屋(弾正郭(だんじょうぐるわ))でご愛用されたもの。天明五年(1785年)浅野家9代藩主重晟(しげあきら)公の時、御泉邸(縮景園)の清風館へ移設。天保六年(1835年)当社造営の時「御陣中御手水鉢」として現在地に設置。
「殊外古物甚(ことのほかふるきものはなはだ)面白き石手水鉢」と称された。
「殊外古物甚(ことのほかふるきものはなはだ)面白き石手水鉢」と称された。
恵比須天
すてき
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サンダー1815投稿
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