みずさわでら(みずさわかんのん)
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楽しみ方水澤寺(水澤観世音)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年01月31日(土) 07時18分06秒
参拝:2024年2月吉日
群馬県 渋川市 伊香保町 水沢 に境内を構える、五徳山 水澤寺(みずさわでら)周辺には 日本三大うどん 水沢うどん 伊香保温泉が在り 坂東三十三観音霊場 が有名 当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024.2に参拝致しました、観光でも沢山の人が訪れる為 対応は慣れていてスムーズでした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 五徳山、院号は 無量壽院、寺号は 水澤寺、宗旨 宗派は 天台宗、ご本尊は 十一面千手観世音菩薩、坂東三十三観音霊場 第十六番札所、上州三十三観音霊場 別格霊場 水澤観音( 十一面千手観世音菩薩 ) 日本百観音 の一つ、水澤寺の創建は推古天皇の時代(592~628年)、上野国司高光中将が恵潅僧正(高麗の高僧)を招いて開山し自らの菩提所としたのが始まりと伝えられています。
伝承によると高光中将の后である伊香保姫は高辺左大将家成の三女として生まれ、上には兄と2人の姉がいたそうです。実母は早くに死に別れ、父親と兄は京都に出仕し継母と姉4人で暮していましたが、継母は日頃から姉妹を恨みに思い、ある時、親戚の更科次郎兼光と図り姉妹を川に誘い溺死させようと画策しました。
姉2人は溺れ死にましたが、伊香保姫は日頃から熱心に信仰していた千手観音に助けを求めると不思議な事に観音様の化身が出現し姫を助け出したそうです。その後、継母と兼光は罰せられ、姫が成長し高光中将に嫁いだ際、この話しを伝えると中将は恵潅僧正を招き姫の持仏である千手観音像を本尊とした水澤寺を開いたと伝えられています。
その後、水澤寺の寺運は隆盛し境内には数多くの堂宇が建てられ、僧坊も擁しましたが持統天皇の時代(690~697年)、当時の国司である柏階知隆と水澤寺の門徒がささいな事から対立し御堂30余棟、坊舎300余棟、仏像180余体が焼失したと伝えられています。伝承によると国司柏階知隆が狩を行った際、一匹の鹿が水澤寺本堂に逃げ込んだ為、それを取り囲み射殺しました。
無用な殺生が行われ、境内を穢された事に反発した水澤寺の門戸達は鹿を手厚く葬ると共に、国司を境内から追い出しました。今度はその行為に怒った国司が大軍を引き連れ水澤寺を焼き討ちしたと伝えられています。その後、東円(行基菩薩の弟子)によって再興され寺運も隆盛しますが永正8年(1511)、大永2年(1524)の火災で多くの堂宇が焼失しています。
江戸時代に入ると幕府から庇護され朱印状を賜り、伊香保温泉の湯治客や札所巡りの巡礼者が盛んになり再び隆盛しています。
現在の水澤寺境内には天明7年(1787)に再建された観音堂や仁王門、六角二重塔があり、観音堂やと仁王門が渋川市指定重要文化財、六角二重塔は群馬県指定重要文化財に指定されています。阿弥陀如来坐像は江戸時代前期の僧侶である円空が彫刻したもので、杉材、一刀彫、像高53.0cm、頭部幅13.5cm、群馬県内に残る数少ない円空仏として貴重な事から昭和52年(1977)に渋川市指定重要文化財に指定されています(※ 円空は延宝9年:1681年に上野国の貫前神社に滞在していた事が記録に残っています)木造十一面観音立像は平安時代後期の11世紀後半に定朝の流れを汲む仏師により彫刻されたもので、桂材、一木造、像高105.5cm、平安時代の古仏で保存状態が良く意匠にも優れている事から平成28年(2016)に渋川市指定重要文化財に指定されています。又、境内には江戸時代から作られていた「水沢うどん」を売る店が軒を連ね「日本三大うどん(水沢うどん・稲庭うどん・讃岐うどん)」に数えられています
伝承によると高光中将の后である伊香保姫は高辺左大将家成の三女として生まれ、上には兄と2人の姉がいたそうです。実母は早くに死に別れ、父親と兄は京都に出仕し継母と姉4人で暮していましたが、継母は日頃から姉妹を恨みに思い、ある時、親戚の更科次郎兼光と図り姉妹を川に誘い溺死させようと画策しました。
姉2人は溺れ死にましたが、伊香保姫は日頃から熱心に信仰していた千手観音に助けを求めると不思議な事に観音様の化身が出現し姫を助け出したそうです。その後、継母と兼光は罰せられ、姫が成長し高光中将に嫁いだ際、この話しを伝えると中将は恵潅僧正を招き姫の持仏である千手観音像を本尊とした水澤寺を開いたと伝えられています。
その後、水澤寺の寺運は隆盛し境内には数多くの堂宇が建てられ、僧坊も擁しましたが持統天皇の時代(690~697年)、当時の国司である柏階知隆と水澤寺の門徒がささいな事から対立し御堂30余棟、坊舎300余棟、仏像180余体が焼失したと伝えられています。伝承によると国司柏階知隆が狩を行った際、一匹の鹿が水澤寺本堂に逃げ込んだ為、それを取り囲み射殺しました。
無用な殺生が行われ、境内を穢された事に反発した水澤寺の門戸達は鹿を手厚く葬ると共に、国司を境内から追い出しました。今度はその行為に怒った国司が大軍を引き連れ水澤寺を焼き討ちしたと伝えられています。その後、東円(行基菩薩の弟子)によって再興され寺運も隆盛しますが永正8年(1511)、大永2年(1524)の火災で多くの堂宇が焼失しています。
江戸時代に入ると幕府から庇護され朱印状を賜り、伊香保温泉の湯治客や札所巡りの巡礼者が盛んになり再び隆盛しています。
現在の水澤寺境内には天明7年(1787)に再建された観音堂や仁王門、六角二重塔があり、観音堂やと仁王門が渋川市指定重要文化財、六角二重塔は群馬県指定重要文化財に指定されています。阿弥陀如来坐像は江戸時代前期の僧侶である円空が彫刻したもので、杉材、一刀彫、像高53.0cm、頭部幅13.5cm、群馬県内に残る数少ない円空仏として貴重な事から昭和52年(1977)に渋川市指定重要文化財に指定されています(※ 円空は延宝9年:1681年に上野国の貫前神社に滞在していた事が記録に残っています)木造十一面観音立像は平安時代後期の11世紀後半に定朝の流れを汲む仏師により彫刻されたもので、桂材、一木造、像高105.5cm、平安時代の古仏で保存状態が良く意匠にも優れている事から平成28年(2016)に渋川市指定重要文化財に指定されています。又、境内には江戸時代から作られていた「水沢うどん」を売る店が軒を連ね「日本三大うどん(水沢うどん・稲庭うどん・讃岐うどん)」に数えられています

坂東三十三観音霊場 第十六番札所、水澤観音( 十一面千手観世音菩薩 ) 日本百観音 の一つ、



















元禄年間に建立された県指定文化財です。六地蔵尊が安置されており、内部の台座を左に3回回して参拝すると、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人)からの厄難を避けて福を招くといわれています





すてき
投稿者のプロフィール

japan-wel…511投稿
宮城県 石巻市に在住、元々出張で日本各地を訪れる機会が在り思い出作りに道の駅スタンプラリーにも参加、気がつけば全国制覇者2022年第184号、今は休日 旅行で全国各地の食べ物、景色、温泉を探索、...もっと読む
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