かわすくねじんじゃ
甲波宿禰神社のお参りの記録一覧
上野国十二社参り 四之宮
甲波宿禰神社は「かわすくねじんしゃ」と読みます。
少し寂れてしまったが歴史のある神社だ。御朱印は拝殿に書き置きが準備されている。
#延喜式内社
「かわすくね神社」甲波とは川(かわ)を表し、宿禰とは尊い人を表す事から、瀬織津姫をお祀りしているのか?と思っちゃいました!
大祓祠では川上にいる瀬織津姫が海に流した罪や穢れを速秋津姫神が呑み込んでしまうと記されています。
主祭神は速秋津彦神と速秋津姫神だそうです(*≧∀≦*)
創建は846年といわれています。
社殿、本殿共に彫刻が凝っていて、他にも甲波宿禰神社と名神社はありますが、上野国四宮であるのは納得出来ます。
駐車場が見当たらず、行き止まりの道路だったのでそこに止めました。ちょっと、難解の場所です。
このね、参道真ん中の丸い石がステキなんですよ。ずっと続いてる。
神楽殿
拝殿
たしかに、、山の神様は多いですね。
川の神様は瀬織津姫しか思い浮かばない。
細かい彫刻
正面の扉も重厚です。
ほえ〰︎
社殿も
緻密な彫刻は全面に施されています。
なんか薄ら書いてある
こちらから一回りして境内社をお詣りできます。先客あり、で各境内社にしっかりお詣りしてました。
祠群
なんの花だったかな?
ベージュの紙に緑の文字、素敵な御朱印です。
書き置きが用意されてまして、大変嬉しい!
甲波宿禰神社(かわすくね~)(川島)は、群馬県渋川市川島にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。祭神は速秋津彦神、速秋津姫神の2柱。吾妻川沿いにある。
奈良時代の771年に創祀。江戸時代中期1783年に浅間山噴火で社殿を焼失、1785年に諏訪神社のあった場所で再建。
なお、「甲波」は「川(かわ)」、「宿禰」は「直根」として、川を神格化したと考えられている。甲波宿禰神社の鎮座地は、箱島、祖母島、川島とすべて「島」の文字がつく地名にあり、3カ所は等間隔にある。
社伝によると、奈良時代の771年に創祀。平安時代の『続日本後紀』では846年に甲波宿禰神への神階授与の記載がある。江戸時代後期の1783年には浅間山の噴火で社殿を焼失するが、1785年に諏訪神社のあった場所で再建、1795年には甲波宿禰大明神が最高位の神階である正一位を受けた。明治時代に入り近代社格制度の下で郷社に列格、1909年に神饌幣帛料供進神社に指定された。
当社は、JR吾妻線・金島駅の西北西1kmの傾斜地にある住宅地の外れ(小山の上)にある。おそらく小山の麓から登るとそれなりの高低差があり、参拝するのに苦労しそうだが、近くまで宅地化されているので道が整備されており、クルマで行くなら苦労しない。メインの境内はさほど広くはなく、見て廻るのにさほど時間はかからない。社務所はあるが無人。ただ神社最寄りの住宅が宮司宅で、書置きの御朱印を拝受できる。
今回は、上野国の式内論社として参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外には参拝者はいなかった。
Yahooカーナビに従って丘を登って行き、辿り着いた場所にある<鳥居>。社号標がないので、一の鳥居ではないみたい。
鳥居を撮影した場所で振り返ると、この場所までの参道が見える。けっこう急な上り坂なので、社号標を目指すのを断念...
鳥居をくぐって階段を登り終えると、目の前に広がるメイン境内。
<拝殿>全景。
参道の右側には<神楽殿>。
参道の左側には<社務所>かな?割と新しそう。
社務所の近くにある簡素な<手水舎>。
手水舎の近くから<社殿>を望む。
<拝殿>正面。美しい彫刻が、朝の光で浮かび上がって見える。
<拝殿>正面の重厚な扉と<甲波宿禰神社>の扁額。なんか<神>の字が変...
左の<狛犬>。見た目、けっこう古そう。
右の<狛犬>。
拝殿の左側から裏手を一周廻ってみる。この位置から拝殿を見ると、軒の木材の彫刻がめちゃくちゃ凝っているのが分かる。
社殿左側の<北辰明神>。
社殿左側の境内社。扁額もなく名称不明。
社殿左側奥の<諏訪神社>。
社殿左側奥の<神明社>。
社殿の後ろ側。左から順に、猿田彦明神、庚申碑×2、石製小祠×たくさん。
拝殿裏手の<本殿>。こちらも彫刻が美しい。
<社殿>全景。特別大きくはないが、美しい彫刻が記憶に残る。
一通り見終わって、やはり延喜式内社<甲波宿禰神社>の最有力論社という印象。
最後に<拝殿>遠景。
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