かわすくねじんじゃ
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甲波宿祢神社ではいただけません
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甲波宿祢神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年07月16日(金)
参拝:2021年5月吉日
甲波宿禰神社(かわすくね~)(箱島)は、群馬県吾妻郡東吾妻町にある神社。式内論社で、旧社格は村社。祭神は速秋津彦神、速秋津姫神の2柱。吾妻川沿いにある。
なお、「甲波」は「川(かわ)」、「宿禰」は「直根」として、川を神格化したと考えられている。甲波宿禰神社の鎮座地は、箱島、祖母島、川島とすべて「島」の文字がつく地名にあり、3カ所は等間隔にある。
社伝によると、奈良時代の785年、公家藤原種継の暗殺容疑で上野国に配流された小野金善が川島甲波宿禰神社から勧請し創建。平安時代927年の延喜式神名帳に記載のある「上野国群馬郡 甲波宿禰神社 小」の論社(4社)のうちの1社とされる。室町時代後期には、白井城主・長尾景春が神宝の太刀を奉納した。明治時代に入り1868年の火災で社務所やすべての古記録が焼失した。
当社は、JR吾妻線・小野上駅の南東1kmほどの、吾妻川の河岸段丘上にある。境内は平坦で広く、樹木は少ないが、そのいずれもが古木で巨木。歴史の長さを十分に感じられる。境内の縁に沿って、相当な数の小祠が並んでいるのを見ると、長年の信仰の深さが伺える。
今回は、上野国の式内論社として参拝することに。参拝時は週末の朝で、自分以外には参拝者はいなかった。
なお、「甲波」は「川(かわ)」、「宿禰」は「直根」として、川を神格化したと考えられている。甲波宿禰神社の鎮座地は、箱島、祖母島、川島とすべて「島」の文字がつく地名にあり、3カ所は等間隔にある。
社伝によると、奈良時代の785年、公家藤原種継の暗殺容疑で上野国に配流された小野金善が川島甲波宿禰神社から勧請し創建。平安時代927年の延喜式神名帳に記載のある「上野国群馬郡 甲波宿禰神社 小」の論社(4社)のうちの1社とされる。室町時代後期には、白井城主・長尾景春が神宝の太刀を奉納した。明治時代に入り1868年の火災で社務所やすべての古記録が焼失した。
当社は、JR吾妻線・小野上駅の南東1kmほどの、吾妻川の河岸段丘上にある。境内は平坦で広く、樹木は少ないが、そのいずれもが古木で巨木。歴史の長さを十分に感じられる。境内の縁に沿って、相当な数の小祠が並んでいるのを見ると、長年の信仰の深さが伺える。
今回は、上野国の式内論社として参拝することに。参拝時は週末の朝で、自分以外には参拝者はいなかった。
境内入口。新緑が爽やかな巨木たちが歓迎してくれる。樹高が高い!
境内入口の<鳥居>と<社号標>。
<鳥居>の先には、吾妻川北岸の低い山々が見える。参道は鳥居をくぐってすぐに左に曲がる。
<拝殿>全景。銅板葺屋根のグリーンと刺し色の赤のコントラストがきれい。
左の<狛犬>。台座は新しそうだが、狛犬本体はそこそこ古そう。
右の<狛犬>。割とオーソドックスなタイプ。
<拝殿>正面。古さが異なる3種類の扁額が掛かる。よく見ると彫刻が細かい。
横から見ると、彫刻の美しさが一層際立つ。
拝殿から右側を見ると、境内地は緑に覆われ、奥の山々と相俟って、自然豊かなすがすがしい景観。
社殿の右側に建つ、立派な境内社。
社殿後ろの流造の<本殿>。よく見ると、屋根は外に露出しているが、建物本体はガラス窓などで覆われているみたい。
境内西端には、小さな石製小祠が50個(!)ほど並んでいる。村の信仰の歴史の長さが感じられる。
境内北端にも、石製小祠がいくつも並んでいる。
社殿横から社殿全景。中央が御神木の<ケヤキ>。全体として、自然一杯で清々しく爽快な印象~!
すてき
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惣一郎1269投稿
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