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武内神社は、群馬県渋川市祖母島にある神社。式内論社。旧社格は村社。祭神は建内宿禰命。吾妻川沿いにある。
当社の勧請元である「甲波宿禰神社」の、「甲波」は「川(かわ)」、「宿禰」は「直根」として、川を神格化したと考えられている。甲波宿禰神社の鎮座地は、箱島、祖母島、川島とすべて「島」の文字がつく地名にあり、3カ所は等間隔にある。
室町時代の1444年に川島の甲波宿禰神社から勧請し創建とされる。江戸時代までは「宿禰大明神」と称し、鳥居の扁額には「正一位宿禰大明神」と記されている。明治時代に入り古事記に記載の「建内宿禰」、日本書紀に記載の「武内宿禰」という祭神の名称から「武内神社」と改称した。
なお、当社自体は平安時代には存在しないため、927年の『延喜式神名帳』にある「上野国群馬郡 甲波宿禰神社 小」に該当しようがないが、一般に式内論社の1社とされている。
当社は、JR吾妻線・祖母島駅の西北西1km弱の農地のまん中の小島(高さ10m)の上にある。県道35号線沿いの神社入口には、表示も鳥居もなく、進入路は農業用トラック以外通行困難な小道。小道を数十m進むと道の上に鳥居が立っている。境内は狭く、ちょうど旧村社といったサイズ感。
今回は、上野国の式内論社として参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外には参拝者はいなかった。
境内全景。大通りのすぐ横だが、進入路は軽自動車以外は困難な細い未舗装路。
バイクも<立ちごけ>が怖いので慎重に進入...(^_^;)
参道の右側の景色。のどかな耕作地。
<一の鳥居>は石製。扁額には<正一位 宿禰大明神>の文字。鳥居自体は、割と新しそう。
すぐ後ろの<二の鳥居>は朱塗りの木製。扁額は木製で文字がはっきり見えないが、おそらく石製扁額と同じ<正一位 宿禰大明神>の文字が書かれている。鳥居自体は、けっこう古そう。
石段を上がったところに<社殿>がある。
石段を上がり切ったところにある<手水鉢>。ちっちゃすぎないかな?
<拝殿>全景。古そうなテイストだが、最近改築したみたいにきれい。
<拝殿>正面。扁額は掛かっていない。
社殿の左側には、石製の小祠がいくつか並んでいる。小さな白いキツネの人形が置いてある稲荷社以外は名称不明。仏像も混じっている。
社殿の右側には、集会所のような建物。こちらも真新しい。
横から見た<社殿>全景。本殿を覆う<覆屋>が<拝殿>と一体化している。
境内はこじんまりしていて<ザ・村の鎮守>といった風情だが、社殿も集会所の新しく、境内も掃き清められていて綺麗なので、宮司さんや氏子衆の当社に対する愛情や情熱が伝わってくる感じがする。すばらしい!
階段の上から鳥居を見下ろす。
階段を登る時に左手に並ぶ石碑群。<天満宮>や<○○大明神>といった文字も見える。
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