みょうぎじんじゃ
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妙義神社ではいただけません
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妙義神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年09月05日(日)
参拝:2020年8月吉日
妙義神社(みょうぎ~)は、群馬県甘楽郡妙義町にある神社。旧社格は県社。祭神は、日本武尊、豊受大神、菅原道真公、権大納言長親卿。上毛三山の一つである妙義山の東麓に位置する、妙義山信仰の中心の神社。総門、唐門、本殿・幣殿・拝殿が国指定の重要文化財。
社伝によると、創建は古墳時代の宣化天皇2年(537年)で、元は波己曽(はこそ)大神と称した(『日本三代実録』に記載のある国史見在社)。名称は後に妙義と改められたが、これは南北朝期に後醍醐天皇に仕えた権大納言長親卿が当地に移り住み、明々魂々たる山の奇勝を愛で明魂と名付けたものが後世妙義と変化したものだという。(権大納言長親卿は当社の祭神であり、出家後は子晋明魏(ししんみょうぎ)と号したことも興味深い。)江戸時代になると、関東平野の北西(乾:天門)に位置するため、鬼門の日光山・二荒山神社、裏鬼門の箱根山・箱根神社とともに関東の守護として、徳川将軍家の篤い崇敬を受けた。当社神宮寺・白雲山高顕院石塔寺は、上野東叡山寛永寺の直轄となり、寛永寺使節の宿坊(「宮様御殿」)が見晴しの良い場所に設けられた。
当社は、JR信越本線・西松井田駅の南西3kmの妙義山の麓にある。一の鳥居は県道196号線(走り屋やライダーの聖地)に面していて、目の前に「道の駅みょうぎ」がある。坂道を登ると総門(かつての仁王門)があり、その先に境内社や社務所などがあるが、社殿のあるメインの境内は石段を156段登った上にある。下から見上げると、まるでギリシャの神殿みたいで神秘的。黒塗りにして煌びやかな社殿や唐門も非常に美しく印象的。
今回は、群馬県の旧県社として参拝することに。参拝時は週末の午後、観光地にもなっているようで、家族連れなどが多く訪れていた。
※参拝当時、榛名山の榛名神社、赤城山の赤城神社とともに、上毛三社スタンプラリーをやっていた。こういうのを見ると、すぐにやりたくなる性分なので、残りの榛名神社、赤城神社にも行ってしまいそう...(^_^;)
社伝によると、創建は古墳時代の宣化天皇2年(537年)で、元は波己曽(はこそ)大神と称した(『日本三代実録』に記載のある国史見在社)。名称は後に妙義と改められたが、これは南北朝期に後醍醐天皇に仕えた権大納言長親卿が当地に移り住み、明々魂々たる山の奇勝を愛で明魂と名付けたものが後世妙義と変化したものだという。(権大納言長親卿は当社の祭神であり、出家後は子晋明魏(ししんみょうぎ)と号したことも興味深い。)江戸時代になると、関東平野の北西(乾:天門)に位置するため、鬼門の日光山・二荒山神社、裏鬼門の箱根山・箱根神社とともに関東の守護として、徳川将軍家の篤い崇敬を受けた。当社神宮寺・白雲山高顕院石塔寺は、上野東叡山寛永寺の直轄となり、寛永寺使節の宿坊(「宮様御殿」)が見晴しの良い場所に設けられた。
当社は、JR信越本線・西松井田駅の南西3kmの妙義山の麓にある。一の鳥居は県道196号線(走り屋やライダーの聖地)に面していて、目の前に「道の駅みょうぎ」がある。坂道を登ると総門(かつての仁王門)があり、その先に境内社や社務所などがあるが、社殿のあるメインの境内は石段を156段登った上にある。下から見上げると、まるでギリシャの神殿みたいで神秘的。黒塗りにして煌びやかな社殿や唐門も非常に美しく印象的。
今回は、群馬県の旧県社として参拝することに。参拝時は週末の午後、観光地にもなっているようで、家族連れなどが多く訪れていた。
※参拝当時、榛名山の榛名神社、赤城山の赤城神社とともに、上毛三社スタンプラリーをやっていた。こういうのを見ると、すぐにやりたくなる性分なので、残りの榛名神社、赤城神社にも行ってしまいそう...(^_^;)
県道に面した、巨大な<第一鳥居>と<社号標>。
公道の坂を登って行くと、階段の先にもう一つ<社号標>。
参道を進むと階段の先に、<総門>が見えてくる。
<総門>には仁王像が立っており、思いっきり神仏習合の名残りが溢れている。扁額は、別当寺であった「白雲山 高顕院 石搭寺」の「高顕院」の文字。
<総門>は、江戸時代の1756年建立、三間一戸八脚門、切妻造、銅板葺。国指定の重要文化財。
<総門>は、江戸時代の1756年建立、三間一戸八脚門、切妻造、銅板葺。国指定の重要文化財。
総門をくぐると、宮殿のような幅広階段がまだ幾重にも連なっている。階段の上に二の鳥居にあたる<銅鳥居>が見える。
階段の左側に2つの境内社。<和歌三神社>(左)と<稲荷神社>(右)。
階段の右側には、小さくかわいらしい<授与所>。御朱印はこちら。
少し離れたところに見える杉の大木。石柱には<天然記念物 妙義神社の大杉>と書いてあるが、説明を読むと天然記念物の大杉は1971年に倒れ、現在は2代目らしい。
先ほどの階段を上がると、こんな景色が広がる。美しくも荘厳な風景。
天まで届きそうな階段のさまは、自分的にはペルーのマチュピチュとか、古代ギリシャの神殿をイメージしてしまう。
天まで届きそうな階段のさまは、自分的にはペルーのマチュピチュとか、古代ギリシャの神殿をイメージしてしまう。
階段を上がる前に、参道の右手にある<旧宮様御殿(現社務所)>。
参道の右手、旧宮様御殿の左隣にある<波己曽(はこそ)社>の社殿全景。
<波己曽社>の拝殿正面。最近改修したてなのか、彫刻の発色が美しい。
波己曽社の左側にある<厳島社>。
いよいよ階段を登る。その前に<手水舎>。
<太鼓橋>を渡った先に<男坂>と呼ばれる165段の階段が伸びる。ここまで110段の階段を登って来たのに、なかなかの仕打ち(笑)。
実は、男坂の手前で、右方向に向かうと<女坂>というなだらかな坂道があるので、急階段の<男坂>を回避できる。
実は、男坂の手前で、右方向に向かうと<女坂>というなだらかな坂道があるので、急階段の<男坂>を回避できる。
男坂を半分登った辺りから<隋神門>を望む。階段が長い年月でうねっているのも面白い。
隋神門をくぐった正面ではなく、左方向にずれた位置に<唐門>がある。
<唐門>全景。じっくり見ると、彫刻も彩色も細かく、非常に美しい。
江戸時代の1756年建立で、桁行一間、梁間一間、平唐門、銅瓦葺。国指定の重要文化財。
江戸時代の1756年建立で、桁行一間、梁間一間、平唐門、銅瓦葺。国指定の重要文化財。
<拝殿>全景。まさに豪華絢爛。さすが徳川家が寛永寺を経由して大事にして来ただけのことはある。
江戸時代の1756年建立。拝殿、桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風。
江戸時代の1756年建立。拝殿、桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風。
<拝殿>正面。扁額を含め、随所に金色が使われ、煌びやかさを増している。
<社殿>全景(その1)。拝殿後ろの本殿は、桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造。本殿と拝殿の間の幣殿は、桁行三間、梁間一間、一重、両下造。本殿・幣殿・拝殿合わせて1棟として、国指定の重要文化財。
<社殿>全景(その2)。少し角度を変えると表情が変わるが、建物の美しさ、バランスの良さは変わらない。
<社殿>全景(その3)。権現造の社殿の形が良く分かる。
唐門近くから、眼下を見下ろす。実際はかなり大きい銅鳥居や波己曽社がめちゃくちゃ小さく見える。
神域の右手から女坂経由でゆっくり下りる。<白雲山妙義大神>と書かれた石碑を発見。
その近くで、ポツンと建っている<愛宕社>。
トータルで、神社としても観光地としても素晴らしい。神聖な雰囲気の中、随所にサプライズがちりばめられている。
すてき
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惣一郎1269投稿
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