御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ
御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
-

おすすめの投稿

神祇伯
神祇伯
2025年05月26日(月) 22時02分09秒
1658投稿

『上野国神名帳』にて多胡郡鎮座地の「従二位 辛科明神」として記載のある古社です。社名の「辛=韓」つまり朝鮮半島系の人たちを指し、当社が渡来人系の民族たちによって氏神・鎮守神として創建されたと考察されています。要するに…カラシ菜とは関係がないということです。

辛科神社(群馬県)

《鳥居と社号碑》
多胡郡総鎮守とあります。多胡郡内にあった韓級郷が社名の由来です。

辛科神社(群馬県)

《手水舎》
蛇口式です。洗ひつるここも…(略)

辛科神社(群馬県)

《由緒書き》
こちらにも御筒粥神事によって一年の豊凶作を占っています。

辛科神社(群馬県)

《随身門》

辛科神社(群馬県)

《拝殿》🙏
こちらには神宝として懸仏が奉納されているように、かつては神仏習合の色濃い神社であったようです。その由縁か、こちらの氏子たちが朝廷にとっては大きな一族ではなかったためか『延喜式』神名帳には記載されていませんが、『上野国神名帳』には記載されているようにこちらの国司及び現地では有力な神社とされていたことが窺えます。

辛科神社(群馬県)

《授与所》
鳥居横には宮司さん宅兼社務所があります。

辛科神社(群馬県)

《由緒書きの扁額》

辛科神社(群馬県)

《本殿》
由来元はなんでしょうか…

辛科神社(群馬県)

《多胡碑のレプリカ》
👁チェックポイント‼️
辛科神社及び韓級郷は多胡郡が設置されたのを記念として作られた「多胡碑」に記されており、韓級郷が渡来人系の民族が居住していた考察から、日本における他国の民族との交流を記した"漢文"表記の貴重な史料として多胡碑は国の特別史跡に指定されています。またこの他にも山ノ上碑・金井沢碑と共に「上野三碑」としてまとめられています。

辛科神社(群馬県)

《合祀殿》

もっと読む
断捨離
断捨離
2023年05月08日(月) 06時30分22秒
1418投稿

奈良時代、この地は辛科郷と言われていて、大宝年間(701〜703)に大陸から渡来して来た人々により創建された。
多胡郡の総鎮守になります。
駐車場らしき場所はなく、多分ここかな?と思われる広場に駐車しましたが、途中の道は神社の敷地になっているので自ずと鳥居の中に入っていました。

木立から見える山門は重厚さがあります。

辛科神社(群馬県)

一旦鳥居の外に出ます。
駐車スペースは右手にあります。

辛科神社(群馬県)

由緒書きは新しく読みやすい。

辛科神社(群馬県)

石灯籠の足がくるっとなっている。

辛科神社(群馬県)

山門

辛科神社(群馬県)

両側の狛犬は石ではなく、金属製?
銅ではなく、真鍮?ステンレス?鉄?😆バカだからわかんないやぁ
正面、色がついているのか、宝石が埋められているのか、、わかんないや(^_-)
調べたら、青銅製だそうです。

辛科神社(群馬県)

横からの姿
上を向いて堂々としている。
そして、ロボットのようでツノもある。

辛科神社(群馬県)

門内の奉納絵

辛科神社(群馬県)

拝殿

辛科神社(群馬県)
辛科神社(群馬県)
辛科神社(群馬県)

本殿の彫刻

辛科神社(群馬県)

薄っすら色がついていたのが、わかります。

辛科神社の芸術
辛科神社(群馬県)

市の文化財です。

辛科神社(群馬県)

神楽殿

辛科神社の歴史

漢字ばかりの由緒書きがあります。

辛科神社(群馬県)

境内社

辛科神社のその他建物
辛科神社(群馬県)

新しい由緒書きもまたあります。

辛科神社(群馬県)

日本三大古碑のひとつ、多胡碑のレプリカ。

辛科神社(群馬県)

書き置きの御朱印には多胡碑のレプリカの印が押してある。実はそれを所望したかったが、優しそうな奥様が直書きしてくれたので、レプリカの印はない、、まぁ、いい。ありがとうございました。

もっと読む
投稿をもっと見る|
7

歴史

奈良時代この神保の地を辛科郷(からしなごう)といった。大宝年間(701~703)に大陸から渡来した人々によって創建されたと伝えられている神社である。
上野国神名帳に従二位とあり、安居院(あごいん)の『神道集』の多胡郡二十五社中の筆頭に出てくる。寛文元年(1661)に流れ造りの本殿と拝殿が修復されており、随神門は寛政9年(1791)の修復、神楽殿は慶応2年(1866)の建立で、春秋の祭日には京都で伝習された太太神楽が氏子により舞われた。
神主による神事でその年の豊作物の豊凶を占う筒粥(つつがい)神事は1月14日。茅の輪(ちのわ)神事のみそぎ流しは7月31日の夜に行われる。社宝として鎌倉時代の懸仏(銅板製)や、室町時代の大黒面(出目上満(でめじょうまん)作)などがある。[高崎市公式HPより]

歴史をもっと見る|
1
名称

辛科神社

読み方

からしなじんじゃ

参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし

詳細情報

ご祭神須佐之男命
五十猛命
ご神体

不詳

創建時代

大宝年間(701年~704年)

創始者

神保氏の祖先

本殿

一間社流造

ご由緒

奈良時代この神保の地を辛科郷(からしなごう)といった。大宝年間(701~703)に大陸から渡来した人々によって創建されたと伝えられている神社である。
上野国神名帳に従二位とあり、安居院(あごいん)の『神道集』の多胡郡二十五社中の筆頭に出てくる。寛文元年(1661)に流れ造りの本殿と拝殿が修復されており、随神門は寛政9年(1791)の修復、神楽殿は慶応2年(1866)の建立で、春秋の祭日には京都で伝習された太太神楽が氏子により舞われた。
神主による神事でその年の豊作物の豊凶を占う筒粥(つつがい)神事は1月14日。茅の輪(ちのわ)神事のみそぎ流しは7月31日の夜に行われる。社宝として鎌倉時代の懸仏(銅板製)や、室町時代の大黒面(出目上満(でめじょうまん)作)などがある。[高崎市公式HPより]

体験祈祷おみくじ絵馬仏像御朱印博物館お守り祭り武将・サムライ伝説
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ