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深諦寺ではいただけません
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じんたいじ|時宗常栄山

深諦寺
群馬県 多々良駅

御朱印について御朱印
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パーキング
駐車場
-

深諦寺について

50年に一度開帳されるという日限地蔵尊。
すぐ南にある常楽寺の「やきもち地蔵」が恋をし、夜な夜な通ったという「女地蔵」
この故事から恋愛成就にも霊験あらたかという。

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くし
くし
2025年01月16日(木)
1579投稿

落合橋を渡り、再びちょっとだけ群馬側に越境、橋のたもとにあるこちらの寺に向かいました。
以前、このすぐ隣りの願掛け不動尊 常楽寺に来た時にこちらも行こうか迷ったのですが、その頃はまだビギナーだったため「深く諦める寺とかなんか縁起悪いな😨」とか思ってたり、御朱印だけにガツガツしてたので無人社とか無住寺を侮ってて拝まなかった😅w

多少知識が付いた今となって、仏教用語で老病死苦を指す「四諦」を深く悟る、みたいなありがたい意味なんだな✨🙏とようやく理解w
もっとも寺の沿革を見ると、将軍家治の娘の満寿姫誕生により、貴人と同じ名前を避けるいわゆる「偏諱」によって満寿寺から変えられたらしいので、本音では変えるのがイヤで「深く諦めました😩」みたいな皮肉もこもってるんじゃないかと😁www
ちなみにこの寺の由緒案内板、逸話は詳しく書かれてるものの創建年が書かれてないので、満寿姫の誕生年で登録しました(^^;

常楽寺には、余所の寺の地蔵に恋して夜な夜な通ったという、地蔵のくせに煩悩全開(*´Д`)な「やきもち地蔵」というのがありますがw やきもち地蔵のお相手がここの日限地蔵尊😍💕👩 そのためやきもち地蔵は「男地蔵♂️」日限地蔵は「女地蔵♀️」と呼ばれてるそうでw
常楽寺では地蔵の夜這いを止めるために、背中にかすがいを打ち付けたり柵で囲ったりいろいろ苦労したそうなので「深く諦める」にはその意味も込められてるのかもしれまんwww
ちなみにこの逸話から、ここ地蔵尊にしては珍しく恋愛成就の御利益があるそうです💘

会津の蘆名盛氏との繋がりなんかも出てきてちょっとビックリ⁉️
ホトカミで検索してみたところ、福島県の会津若松市には西光寺というお寺は3つ出てきましたが・・・どれなんだろ?(・・;)
もう一つの地蔵を持っていったという「東京白金の朝辰和尚」については解らず💫 興味深いので残り二体のお地蔵さんの所在についても、もう少し探ってみようと思います🔍️ ・・・見つかっても実際に行けるかどうかはわからんけど😂

【追記】
会津の方はそれらしいのが見つかりました❗
このお寺の伝承に出てくる「赤井村」というのは現在の会津若松市湊町赤井という所らしいんですが、ここにはなく、大沼郡会津美里町本郷道東というところに日限地蔵尊が存在💡
西光寺というお寺は残念ながら廃寺のようですが、西光寺前という地名が残ってる。
「芦名盛氏の夢のお告げにより城内の丑沼から掘り出された」と伝承も一致してるのでここで間違いないかと思います👍
あとで気が向いたら登録しようかと✏️→登録しました。 現地の方、よろしければ代参してくださいませ🙏w

【1月21日追記】
東京白金の方もそれっぽいのが出てきました💡
港区にある松秀寺というお寺に日限地蔵尊があるそうで、これがなんと福島の日限地蔵尊の伝承と同じ「徳一」の作❗ さらに深諦寺、松秀寺、会津の日限地蔵尊の前身の西光寺も時宗⁉️ ここでほぼ間違いないかと思います👍
参考情報として松秀寺の由緒にも追記しました✏️w

深諦寺(群馬県)

再び矢場川を渡り群馬・館林側へ

深諦寺(群馬県)

以前、金売り吉次の埋蔵金が眠るという塔ノ木稲荷神社というのを紹介しましたが、その伝説を補強するのがこの落合橋
義経主従は北陸道ではなく館林を通って奥州平泉に落ち延びていた❗(ドキャーン!)
吉田松陰もこの橋を渡ったことがあるようです

深諦寺(群馬県)

橋を渡ってすぐ右の土手下に深諦寺があります
すぐ前が車道で全くスペースがないので、階段上にチャリを止める😖

深諦寺(群馬県)

ささやかな山門あり

深諦寺(群馬県)

南の方からも入れます
向こうの木立がやきもち地蔵のある願掛け不動尊 常楽寺
常楽寺もそのうち再参拝したい🙏

深諦寺(群馬県)

山門右に仏像付きの普門品供養塔と念仏供養塔

深諦寺(群馬県)

「六尺藤」という藤棚

深諦寺(群馬県)

こういう伝承が伝わってるそうです
ザビエルが「日本国中最も大にして、最も有名な坂東のアカデミー」と紹介した足利学校の名声は、本当に九州の方まで伝わってたんですね💡

深諦寺(群馬県)

川沿いに立つのは歴代住職墓らしい

深諦寺(群馬県)

本堂
お寺自体はコンパクト

深諦寺(群馬県)

本堂前の堂宇には如意輪観音が二体

深諦寺(群馬県)

御開帳はなんと50年置き⁉️
しかし前回開帳年などの情報が出てこないため、次がいつだか不明😫

深諦寺(群馬県)

足利の寺社案内板も文化財自慢じゃなく、こういう縁起・沿革を載せてほしい(^^;
この点、私的には館林の方が評価できる👍w

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名称深諦寺
読み方じんたいじ

詳細情報

ご本尊《本尊》日限地蔵尊
《堂宇》如意輪観音二体
《諸尊》観世音菩薩(普門品供養塔)・地蔵菩薩数体
山号常栄山
院号松寿院
宗旨・宗派時宗
創建時代宝暦11年(1761年) 前身の満寿寺・道成寺は少なくとも戦国時代以前
開山・開基満喜和尚 (前身の道成寺開山者は不明)
ご由緒

時宗 常宋山 松寿院 深諦寺は、元は一向宗で道成坊 道成寺と称した。
道成十代越塚鑑相、満喜和尚の時、遊行寺有三上人に帰依し「時宗満寿寺」となり、関東の十刹と称せられた。徳川家治将軍に満寿姫が誕生し、深諦寺と変わった。
天文二十二年(1553年)満喜和尚は有三上人を案内して寺を妻と弟に頼み会津に行っている。
会津のお殿様 蘆名修理大夫盛氏公に夢のお告げがあり、城中丑沼泥中より三体の地蔵菩薩が出限した。この尊像をお城の守り本尊とし、盛氏公開基、満喜和尚を開山とし、赤井豪族の根拠地赤井村に西光寺を建立した。満喜和尚は永禄九年(1566年)十月二十三日にその地で入寂した。
わけあって東京白金の朝辰和尚がこの三体の地蔵尊を会津から持参した処、余りの御利益に驚き、一体は会津に、一体は満喜和尚を待ちわびていた木戸に戻された戻された。
深諦寺の日限地蔵尊はどんな疫病にも、恋の願い事でも日を限ってお願いするとかならず叶うと云う。

【木戸のささら】
「雨乞いささら」とも言われ、暑さが厳しくなる 7 月下旬に行われる。木戸
町 深諦寺
を出発し、地区内各地を巡行する。社寺や村境では厄払いとして獅子
舞を奉納する。
3 頭 1 人立の獅子と、柳生流
の棒術、花(万灯)で構成される。
天正年間(1573~1592)の大洪水で邑楽
郡中野村から獅子頭が深諦寺裏に漂
着し、住職が村民に踊りを教えたのが起源とされる。

体験仏像祭り伝説
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