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尾曳稲荷神社ではいただけません
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おびきいなりじんじゃ

尾曳稲荷神社のお参りの記録(1回目)
群馬県館林駅

投稿日:2023年11月18日(土)
参拝:2023年11月吉日
🌼尾曳稲荷神社(おびきいなりじんじゃ)⛩️に参拝させて頂きました🙏🌸当社は、第105代後奈良天皇の御代 天文元年(1532)尾曳城(後の館林城)城主・赤井照光が城の鬼門にあたる稲荷郭の地に守護神として創始されました。🌺大袋城(城沼南岸)城主 赤井山城守照光、年賀の途次童子らに捕らえられた狐児を救ったと云われています。🦊その夜更け老翁が顕れ、子狐が助けられた礼を述べ、館林が要害堅固の地と説き移転を奨めて姿を消しました。その年の七夕の夜老狐が顕れ尾を曳いて城郭の縄張りを先導して夜が明けました。🍁別れに際し「築城完成の暁は長く城の守護神に使えよう。私は稲荷の神使 新左衛門である」と言い終わるや姿を没しました。☘️照光はこれによって築城し、その名も尾曳城と号し、城中に稲荷郭を設け、社殿を造営して当神社を奉祀しました。🌼現存する初引き稲荷は尾の曳き初め、夜明稲荷は曳き終わりの場とされています。

🌷🌷「お食事処」旧秋元別邸🍱
徳川家康に仕えたお殿様の、最後の住み家‼️ 館林藩の最後の藩主「秋元家」の別邸は、明治末期から大正初期に建てられたもの。主屋は木造平屋建て・瓦葺きの入母屋造り、離れ座敷の洋館は昭和初期に東京の本邸から移築されました。料理長が、真心込めて用意された素敵な空間に彩りを添えるお食事を頂けます🌷🌷

👣所在地 : 群馬県館林市尾曳町10−1
尾曳稲荷神社(群馬県)
    和食職人の特別和膳 
       「お食事処」旧秋元別邸
尾曳稲荷神社(群馬県)
   御朱印 「 尾曳稲荷神社 」
尾曳稲荷神社(群馬県)
   拝 殿 「 尾曳稲荷神社 」
尾曳稲荷神社(群馬県)
   手水舎 
   寛文5年年(1665年)奉納の手水鉢
尾曳稲荷神社(群馬県)
    神楽殿 「 尾曳稲荷神社 」
尾曳稲荷神社(群馬県)
   社号標
尾曳稲荷神社の狛犬
   眷属の狐 
尾曳稲荷神社(群馬県)
   一の鳥居
尾曳稲荷神社(群馬県)
    千本鳥居
尾曳稲荷神社(群馬県)
   文政13年(1830年)灯籠
尾曳稲荷神社の鳥居
   二の鳥居
尾曳稲荷神社(群馬県)
   扁 額
尾曳稲荷神社(群馬県)
   本 殿
尾曳稲荷神社の末社
   境内社 三峯社
尾曳稲荷神社(群馬県)
    境内社 
    花の弁財天二の鳥居
尾曳稲荷神社(群馬県)
    「お食事処」旧秋元別邸
 徳川家康に仕えたお殿様の、最後の住み家‼️

すてき

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