あおうめじんじゃ
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青梅神社について
お守りと絵馬は、館林駅入口信号角の竹森薬局で販売しています。
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冠稲荷神社様からあと2ヶ所まわりたい所があったのですが、電車が1時間に1本…駅について到着時間を計算するとアウト😭仕方なく帰宅する事に…
館林駅で乗り換えで時間もあったので改札を出て気になっていた和菓子屋さんへ向かう途中で神社様発見‼️
お参りさせていただきました🙏🏻
【青梅神社】
青梅神社(あおうめじんじゃ)は、群馬県館林市本町2丁目にある神社。青梅神社の名は『旧館林町神社明細帳』により、宗教法人名もそのようになっているが、『邑楽郡誌』には青梅天満宮と記されているほか、青梅天神とも呼ばれています。
縁起によると、菅原道眞が太宰府に左遷された際、楊枝の先に梅の実を刺して東西南北にそれぞれ1個ずつ投げた。最初に北へ投げたのが、出雲国に落ち花久理梅となり、続いて南は讃岐国に落ち花さく梅となった。西は筑前国太宰府の飛梅となり、東は上野国館林に飛び当青梅天神になったとされる。この4社を日本四社と呼び、そのうちのひとつとされる。
☆社号碑☆
表面に「日本四社青梅天満宮」右側に「寛政六年(1794年)甲寅歳九月二十有五日後岡美啓敬書」とあり、裏面には所謂四社者
西 筑前国飛梅社
南 讃岐国四季梅社
北 出雲国花久里梅社
東 当青梅社是也
と刻まれています。
☆鳥居⛩️☆
☆額殿☆
寛永8年(1631年)築、寛政6年(1794年)再建
入母屋造瓦葺
☆参道☆
☆狛犬様☆
☆御社殿☆
【本殿】
春日造柿葺
寛永18年(1641年)再建
【幣殿】
切妻造瓦葺
【拝殿】
入母屋造瓦葺
寛永8年(1631年)築、文久2年(1862年)改修
この拝殿の格天井は、幕末の改修で浮世絵師北尾重光が完成させた。太い木が井桁に組まれ、上に板が張られた造りで、色鮮やかな動植物が77枚描き出されているそうです。
【御祭神】菅原道真公•素戔嗚命•猿田彦神
☆扁額☆
今回はお土産屋さんがなかったのでこれだけ😄
1泊予定が日帰になっちゃったので雪が降る前にまた行こうと思います😊
次回はまた東京編です🗼
お参りしてきました。
お守りと絵馬は、館林駅近くの竹森薬局で販売されているようです。
御朱印は調べましたがないようです。
社号標と鳥居
絵馬殿
奉納された古い絵が飾られていました。
境内の風景
拝殿
本殿
歴史
当社縁起によると、祭神菅原道真公が左大臣藤原時平一派の陰謀によって、太宰府に左遷されたとき楊枝の先に梅の実をさし、それぞれ一個ずつを東西南北に投げた。最初に投げたのが出雲国にとび花久理梅となり、つぎは南方讃岐国へとび花さく梅となり、西は筑前太宰府の飛梅、東はう上野館林へとび青梅天神となったという。日本四社の内東方一社である。
鎮座年記は赤井山城守城主(1471~1562年頃)とされ「館林代々城主聞書」には「谷越町(現在地)天神の宮は追手(大手)の外の南方に有之候処文禄4(1595)乙未年今の所へ移す」とあり、文禄4(1595)以前は三角公園の南西付近にあったものを榊原康政城主時代に、城拡張工事のため移転したものと伝えられる。
古くより学問の神様として崇拝され合格祈願のお参りをする人々の姿が多く見られる。
(境内案内看板より)
名称 | 青梅神社 |
---|---|
読み方 | あおうめじんじゃ |
通称 | 青梅天満宮 |
トイレ | なし |
御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 菅原道真、素盞嗚命、猿田彦神 |
---|---|
ご由緒 | 当社縁起によると、祭神菅原道真公が左大臣藤原時平一派の陰謀によって、太宰府に左遷されたとき楊枝の先に梅の実をさし、それぞれ一個ずつを東西南北に投げた。最初に投げたのが出雲国にとび花久理梅となり、つぎは南方讃岐国へとび花さく梅となり、西は筑前太宰府の飛梅、東はう上野館林へとび青梅天神となったという。日本四社の内東方一社である。
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体験 | 絵馬お守り |
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