かもじんじゃ
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賀茂神社について
崇神天皇代(紀元前)創建と伝わる相当な古社。
周辺には古代の祭祀遺跡が点在し、特殊神事も伝わることから古くから神域とされていたと思われる。
格式も高く延喜式内社でもあり、上野十二社の一社であり上野国十一宮
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上野国山田郡の式内社です。全国にある賀茂神社の分社の一つで、京都の上賀茂神社から勧請されました。勧請を行った豊城入彦命さまは第10代崇神天皇さまの皇子で東国平定に赴き、上野国における上毛野君、下野国の下毛野君のように国名の由来となった一族の祖となりました。そのため、式内社のうちでも当社は朝廷の支配範囲として創建された神社とも言えます。
《鳥居》
雪の日は境内に入らないように立て札があります。かなり積もるんですね。
《末社①》
《由緒書き》
特殊神事に「御篝神事」というのがあります。火投げ神事と言われているみたいですがどんな祭りなのか…
《御篝神事について》
書かれてました。穢れを移した人形や古いダルマなどをくべて薪を投げるとありますので、現代の大祓やどんど焼きを含めた祭りのようです。
《手水舎》
蛇口式でした。
《八坂神社》
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
当社の神使は尾の切れたアオダイショウとされています。この由来は分かりませんがこの伝承はよく知られていたらしく、養蚕業で栄えた広沢町においては蚕を天敵であるネズミから守るため町内に分社がいくつかあります。これが明治に富岡製糸場まで繋がり現代に至るわけですね。
《豊機社》
奥宮のように左手奥にあります。社名的に織物産業で栄えた群馬に由来するお社と思われます。
《古代祭祀場》
《授与所》
15時まで開いてるとかなんとか。
上野國にある由緒ある神社の十二社のひとつ、十一宮になります。
人が住む町と、山の境目にある神域です。
県の天然記念物の3本のモミの木があります。詳しくは理解できないのですが、こちらの森の状態が、良好に保たれている証拠なんだそうです。
社務所にどなたかいらっしゃる気配はプンプンしていましたが、宮司さんはご高齢であるという噂を耳にしていましたので、、大声をあげて御朱印をいただくのも憚られましてね、今回は十分お参りさせて頂いたのでコソッと帰りました。
森の入り口に立つ鳥居です。
境内は広々とし、雰囲気がいいです。
直ぐにある賀茂御祖神社
左には八坂神社
神楽殿
太々神楽が奉納されます。
句碑の道
森の中に誘うような細道と遠くに見える鳥居。
どなたの作かわからない、、
更にわからず、。
そして鳥居
階段上に社があります。ちゃんと手水舎もありました。
雨水をためるのか、、
急な階段です。
豊機神社
背が高ーい!
天然記念物の3本のモミの木の一本です。
拝殿
拝殿前の石灯籠には獅子の彫刻がされてます。
拝殿前、背が高ーい!こちらは杉ですね、、
御神木です。
拝殿横から本殿に向かうと、木の根が血管のように伸びている木々達に出会い、ぞっとしました。
本殿は朱の枠に白を基調とした見事な彫刻があります。室町時代の物らしいです。
市の文化財の石灯籠です。
さらに右奥に社があります。
鹿島神社、香取神社
両側に祠がならんでいます。
本殿の屋根に光が当たり、神々しい雰囲気です。
賀茂神社(かも~)は、群馬県桐生市小曽根町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。祭神は、賀茂別雷神。
創建は不詳。社伝によると、崇神天皇の御代に、豊城入彦命が東国鎮護のため山城国の賀茂神を勧請して創建。『日本後紀』には、平安時代初期の796年、同じ上野国の美和神社とともに官社に列したとの記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載される「上野国 山田郡 賀茂神社 小」に比定されている。1089年の清原武衡・家衡の反乱の際、源義家が当社で戦勝祈願をし、戦勝後、賽祀のため奉幣の神楽を奏したと伝わる。明治時代には、近代社格制度の下、郷社に列した。
当社は、JR両毛線・小俣駅の西南西2kmの広沢丘陵という小丘の北斜面の麓にある。駅からは途中渡良瀬川を渡る必要があるので、道のりだと3km弱。麓の住宅街を抜け、なだらかな坂道登って行くと境内東端の鳥居に行きつく。境内は広く、背後に山の斜面を抱く形。針葉樹のモミの木が群生して境内全体を覆っており、神秘的な雰囲気を醸し出している。御神木の極太巨木もインパクト大。拝殿は新しくきれいだが、本殿は室町時代の造営と、建物の由緒も正しい。境内にウリボーがいるというおまけ付き。
今回は、上野国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外にも、神社好きと思しき若い男性が一人参拝に訪れていた。
※今回は、社務所に人の気配を感じなかったため、御朱印を拝受せずに参拝を終えたが、ネットで調べると境内社務所で御朱印を拝受可能との情報あり。なので、要再参拝...涙
境内東端入口。<鳥居>と<社号標>は少し離れて立っている。
高木に包まれた入口の<鳥居>。
鳥居をくぐったところ。立派な針葉樹が境内全体を覆っており、神聖な空気が立ち込めている。すごく良い雰囲気!
参道右側の<手水舎>。ここで、いつも違う何かを感じる。なんだろう?
うしろで何かが動いている...?
動く物体の正体はこちら。かわいらしいウリボー。
2匹のウリボーが地面に落ちたどんぐりか何かを忙しそうに食べまくっている。当社で飼っているのかな? (^_^;)
参道正面を向く。社殿の右側に見える極太の<御神木>がすごい。
社殿のある神域は低い石塀で囲われており、一段高くなっている。
<拝殿>全景。彩色が入っていないので見た目は地味で古そうだが、よく見るときれいで新しそう。
<拝殿>正面。扁額には<式内賀茂神社>とある。
<社殿>全景。拝殿の後ろに、色合いの違う本殿が見える。
拝殿後ろの<本殿>は、安土桃山時代の建立。朱色のビビッドな色あいが印象的。
社殿の反対側に回ると、本殿手前に小さな建物がある。何の建物でしょう?
その手前にあるのは、桐生市の指定重要文化財になっている<石燈籠>。室町時代前期の1378年建立。
一度社殿のある神域から出て、神域の右脇奥に進むとこの鳥居が立っている。
鳥居をくぐって、正面にあるのが<鹿島・香取神社>。両側は石小祠がずらっと立ち並んでいる。
手前の左側には、大量の石小祠が。(整理のため集められちゃったのかな...)
<鹿島・香取神社>への参道からよく見える<本殿>。華やかな色彩と繊細な彫刻が美しい。
社殿のある神域の左手にある<豊機社>。急坂を登った上にある。看板には「風雨・降雪時にはここで参拝」とある。
参道の左手、小丘の斜面に立つ<神輿舎>(右)と<神楽殿>(左)。
境内入口の鳥居をくぐってすぐ左側にある<八坂神社>。
境内入口の鳥居をくぐってすぐ右側にある<賀茂御祖神社>。
うしろでは、ウリボーがまだ木の実を食べながらウロウロしている...((´∀`))
歴史
創建年代は不詳だが崇神天皇の時代(紀元前97~紀元前30年)、豊城入彦命(上毛野君や下毛野君の始祖)が東国鎮護のため、山城国に鎮座する賀茂別雷神社の分霊を勧請したと伝える相当な古社。
実際に境内背後には賀茂山祭祀遺跡や神籠石など祭祀遺構があり、境内からも古鏡や祭器、高杯などが出土し社宝とされていることから、神社創建以前から神域とされていた土地と思われる。
格式も高く、延暦15年(796)に、市内の美和神社とともに官社に列せられ。元慶4年(881)には正五位下勲十二等を授かり、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている。
平安時代に上野国の有力神社を列記した上野国神名帳に「従一位賀茂大明神」として記載され、上野国十二社のうち一社に数えられる。
以来、周辺住民だけでなく歴代領主にも崇敬され、平安時代後期の天喜年間(1053~1058年)に、奥州で前九年の役が発生した折には、源義家が戦勝祈願のため当社を訪れ無楽を奉納したと伝わっている。
明治時代の神仏分離令を経て郷社に列す。
古くからの神域だった事から古木、大木が多く、特にモミの大木3本は貴重なものと評価され、名称「賀茂神社のモミ群」として群馬県指定天然記念物に指定されている。
名称 | 賀茂神社 |
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読み方 | かもじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》賀茂別雷神 《合》玉依姫命・経津主神・武甕槌神・建御名方神・素盞嗚命・白滝姫命・宇迦之御魂神など二十柱 《境内社》下賀茂神社(賀茂御祖神社)・香取神社・鹿島神社・八坂神社・豊機社 |
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創建時代 | 不詳 伝・崇神天皇代(紀元前97~紀元前30年) |
創始者 | 豊城入彦命 |
本殿 | 流造銅板葺 |
文化財 | 御篝神事 (桐生市指定重要無形民俗文化財)
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ご由緒 | 創建年代は不詳だが崇神天皇の時代(紀元前97~紀元前30年)、豊城入彦命(上毛野君や下毛野君の始祖)が東国鎮護のため、山城国に鎮座する賀茂別雷神社の分霊を勧請したと伝える相当な古社。
古くからの神域だった事から古木、大木が多く、特にモミの大木3本は貴重なものと評価され、名称「賀茂神社のモミ群」として群馬県指定天然記念物に指定されている。 |
体験 | 御朱印重要文化財武将・サムライ伝説 |
Wikipediaからの引用
概要 | 賀茂神社(かもじんじゃ)は、群馬県桐生市広沢町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 崇神天皇の代に、豊城入彦命が山城国の賀茂神を勧請したと伝わる[1]。 延暦15年(796年)に美和神社とともに官社に列した(『日本後紀』)[2][3]。 元慶4年(880年)美和神社、甲波宿禰社、小祝社とともに正五位下勲十二等(『三代実録』)[2][3]。 延喜式神名帳では山田郡小社賀茂神社として挙げられている[2][3]。 上野国神名帳では「従一位 加茂大明神」として見える[2]。 源義家が後三年の役に出征するに際し当社に祈願し、凱旋の時神楽を奏したとの伝承がある[4]。 隣接する法楽寺はもとは当社の別当寺であり、同寺に伝わる木彫懸仏(桐生市指定重要文化財)は室町時代に作...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「賀茂神社 (桐生市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%B3%80%E8%8C%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E6%A1%90%E7%94%9F%E5%B8%82%29&oldid=101542541 |
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