高野山真言宗
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群馬県 太田市 細谷町に境内を構える、教王寺、正式名称は 如意山 惣持院 教王寺、当方は 道の駅 全国制覇者で 全国の寺社、霊場を巡礼しております、2024.に 新上州三十三観音霊場、関東八十八ヶ所霊場等で参拝致しました、群馬県の方々の人の良さなのか県民性の高さなのかは解りませんが、群馬の寺院、神社、道の駅等ムラなく素晴らしい対応で気持ちが良く、また行きたいと思う地域でした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 如意山、院号は 惣持院、寺号は 教王寺、宗旨 宗派は 高野山 真言宗、御本尊は 如意輪観世音菩薩、新上州観音霊場三十三カ所 第十一番札所、関東八十八ヵ所霊場 第十三番札所、新四国八十八カ所霊場 第八十八番札所 結願寺、名城と言われた 金山城の方除、坤(ひつじさる:西南)に当たる細谷の地に、大阿闍梨良賢(りょうけん)大和尚を招いて天下泰平・国家安穏の祈願所として創建され開山された由緒ある寺であります。寺名の教王寺は、京都の真言宗総本山東寺(教王護国寺)が内裏の方除御祈願所として創建され、嵯峨天皇が弘法大師に賜ったのに因んでいます。一説には新田一族の新田政氏の子である国氏が細谷氏を名乗り、細谷氏の氏寺としていたともいわれ、新田義貞の子孫金山城主の横瀬国繁(よこせ くにしげ)の開基とも伝えられていまが、僧の階位の一部を刻んだと見られる正長二年(1429年)銘の五輪塔があることから、それ以前にすでに寺院が形成されていたと考えられています。江戸時代には新田・山田・勢多・足利四郡の真言宗百余か寺の触頭としての役割を持ち、幕府から二十五石三斗の御朱印地を領した中本寺で、法会・法談の中心道場として栄え、近くの冠稲荷の別当寺でもありました。
境内には江戸時代中期の正徳四年(1714年)再建の観音堂(旧本堂)があり、寄棟造りの大師堂と入母屋造りの護摩堂が合わされた曲り家の珍しい堂宇で、建築史上貴重な遺構といえます。ここには行基菩薩の作という如意輪観世音菩薩を本尊とし、脇殿に弘法大師、不動明王を祀っています。また、本堂(旧客殿)には愛染明王を祀り、現在は檀信徒の追善供養や御詠歌の稽古等に利用されています。明治五年(1872年)に学制が発布されると、教王寺には沢野小学校の前身である誠至学校が造られました。境内の鐘楼にある梵鐘は、総高123㎝、口径70㎝で、下野国佐野天明(現 栃木県佐野市)の鋳物師(いもじ)、恩田甚助・長谷川弥市の両人により鋳造され、江戸時代後期の勤王家・思想家である高山彦九郎⦅たかやま ひこくろう、延享四年五月八日(1747年) - 寛政五年六月二十八日(1793年)。諱は正之、戒名は「松陰以白居士」。林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」(「奇」は「優れた」の一人)の祖父、蓮沼(高山)伝左衛門貞正が延享五年(1748年)四月に寄進したものです

太田市周辺は受印可能なお寺が結構豊富ですが、やっぱ通勤圏のせいか休みの日は逆に足が遠のき、金山周辺以外はほとんど行ってなかった(^^;
いい機会なので冠稲荷神社から北上しつついくつか回ってみました。
まずはここ。
かなり古めかしいお寺です。
調べてみたところ、江戸時代には新田、山田、勢多、足利四郡の真言宗およそ百か寺の触頭(ふれがしら)の寺格を持ち、元は冠稲荷神社の別当寺・・・おぉいいねぇ(゚∀゚) 縁が繋がってるねぇ♪
御朱印は二種類、どちらも如意輪観音で印も書体も同じ。 しかしお姿札が全く違う・・・
どうしようか迷いましたが、お姿札だけ貰うわけにもいかんので両方授かりました(;^o^)

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