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飯玉神社(東金井)の基本情報

住所群馬県太田市東金井1096
行き方
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名称飯玉神社(東金井)
読み方いいだまじんじゃ
通称飯玉樣

詳細情報

ご祭神《主》保食神
《境内社》結縨社(飯風呂明神)・加茂社(釜宮)・その他
創建時代不詳
創始者不詳
ご由緒

飯玉神社の創立は明らかではないが、明治初年までは飯玉明神と号され、飯風呂明神、釜石明神も同じ境内にあり、すこぶる広いものであった。
元亀天正の頃、新田正伝記に、東金井に住む新田十六騎の中の富岡内匠なる者が、居館を築くので境内を縮小し、飯玉、飯風呂、釜宮をそれぞれ三分してしまった。後に富岡氏は滅亡した。
現在、居館跡として壕塁の地形があり、字築地の内という。 また南端に出入り門の跡があり、今畑に変わり門畑という名がある。
明治九年に飯風呂を結縨と改め、釜宮を加茂社として改め、本社の境内に移転して末社とした。
釜宮の旧社地が現在民有になっているのも、その跡があるのである。
当社は安産の守護神と称され、氏子は勿論四方遠方から参詣するものが多かった。そのため氏子内では古来難産に遭遇した人を聞かない。
陸中国にある塩竈神社は安産守護の神であるという。竈には安産守護の神霊が憑かれる因縁があるのだろうか。 竈と釜と同意であり、風呂とも関係がある。
領地地頭職は時々交代があったと言われるが、皆当社を尊信し、毎年多少の金穀を奉納されたという。 中でも慶応年間地頭 野々山源八郎は、石鳥居、興漱石を寄進された。 秋祭には白酒を醸造し樽のまま奉納し、また赤飯も蒸製し固く握って、赤飯板に積んで献備したと言われている。
釜宮明神にあった古器物は明治九年移転の際、宝物として本社内に蔵している。
幾星霜を経て今日に至り、この度、昭和四十一年九月二十五日の二十六号台風により、本殿の傍らの大木の倒れにより本殿が全壊したため、氏子の総意と一同の協力により、境内の神木を使用し新築したものである。
(神社由来板より)

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