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あり

あり

御朱印について
御朱印
-
ありません

赤城神社の基本情報

住所群馬県伊勢崎市宮前町1582
行き方
アクセスを詳しく見る
名称赤城神社
読み方あかぎじんじゃ
通称下植木赤城神社
トイレあり
御朱印なし

詳細情報

ご祭神《主》大己貴命
《配》菅原道真、最上命、素盞嗚命、倉稲魂命、大物主命、木花咲爺姫命、大山祇命、誉田別命
文化財

⚫︎下植木赤城神社石造美術群(県指定重要文化財、群馬県指定重要文化財、下植木赤城神社石造美術群 昭和35年3月23日指定)
古碑殿内にある中央の宝塔二基と左側の石幢一基が指定物件で、右側の宝塔には観応二年(1351)、左側の宝塔には貞治五年(1366)、いちばん左側の石幢には延徳二年(1490)のそれぞれ刻銘があり、造立は南北朝時代から室町時代初期のものです。形態はさまざまですが、基礎部の刻銘などにより法華信仰がうかがえ、北方の天増寺にある「天増寺宝塔」(県指定重要文化財)とともに当時この地方に法華経に伴う信仰が広がっていたことがわかります。特に貞治の宝塔の基礎部には「泰造立殖木宮石塔事」として願文とともに、織物と関係の深い泰姓の四人の名を刻んでいることなどが特徴です。
平成3年8月9日
伊勢崎市教育委員会

ご由緒

伊勢崎市宮前町の赤城神社は、人皇27代安閑天皇の御代の創立にして近傍の鎮守であり、当社末社と称するもの99社ありと伝えられる。
社家古記録によると、源頼朝草創の頃に殖木氏が修理し後村上天皇の御代 正平5年(1350)、上杉民部大輔が上野国を領した時再建された。上野国神名帳佐位郡従四位上郡玉明神がこれである。
慶長年間(1596~1614)、伊勢崎藩主稲垣右衛門長茂が修理を加え赤城神社と称し、神田を寄進した。
社地内崇光天皇の御代の観応2年(1351)11月の宝塔と後光厳天皇の御代の貞治5年(1366)11月の多宝塔、さらに後土御門天皇の御代の延徳2年(1490)の石幢があり、3つとも群馬県指定重要文化財に指定されている。
当時恒例の流鏑馬神事に用いた台石一個が参道中央にあり、地中に埋もれているが、その丈は六尺以上と言われている。
また、旧国指定重要美術品に指定されていた赤城大明神の御正体(懸仏・千手観音像)があったが、現在は以前に当社宮司を務めていた井下家(東京在住)に保管されている。
明治6年3月村社に列し、同41年3月境内末社を合祀し現在に至る。

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