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いよくらいでんじんじゃ

伊与久雷電神社
群馬県 剛志駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

境内に駐車可能

おすすめの投稿

神祇伯
神祇伯
2024年10月21日(月) 22時06分11秒
1629投稿

群馬県と栃木県に点在する雷電神社の一社です。伝説によれば御神木に雷が落ち、その中から黄金の御神像が出てきて悪疫災難を払ったとされています。その雷が落ちた老杉の樹皮を雷除けの護符にしたという変わった伝承もあります。

伊与久雷電神社(群馬県)

《一の鳥居と社号碑》

伊与久雷電神社(群馬県)

《雷電神社古墳について》
全体図を見るとお馴染みの前方後円墳ですね。

伊与久雷電神社(群馬県)

《手水舎》
蛇口を捻ると水が出ます。

伊与久雷電神社(群馬県)

《表参道》
石の鳥居が立ち並んでいます。

伊与久雷電神社(群馬県)

《神楽殿》

伊与久雷電神社(群馬県)

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
鎌倉時代までの上野国内神社をまとめた『上野国神名帳』に記載されている佐位郡の於神明神が当社に比定されています。ただし、同市西久保町の大雷神社も同じく論社に挙げられています。共通しているのはどちらも雷神を祀る神社であるということですね。於神が龗神さんとして当たり、雨にかかわる神社として認知されていたようです。それが事実ならばかなりの古社である可能性があるようです。

伊与久雷電神社(群馬県)

《むくろじについて》
当社にはムクロジの木があり、昔はお釈迦様はこのむくろじの実をまとめて数珠にして弟子に配ったそうです。御神木の老杉はなさそうでしたが、このむくろじの実がかつての護符の信仰を守っているようです。

伊与久雷電神社(群馬県)

《本殿》

伊与久雷電神社(群馬県)

《末社群》
本殿裏手にあります。

伊与久雷電神社(群馬県)

《授与品について》
御守りやお札、御朱印も書き置きで受けられます。

伊与久雷電神社(群馬県)

《カエルの石像》
先ほどの授与品は道の向かいにある介護施設「日の出」にて受けられます。このカエルの石像が目印です。

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断捨離
断捨離
2022年11月22日(火) 15時29分47秒
1406投稿

森に囲まれ、古墳の上に建てられた神社です。
伝説によると御神木に雷が落ち、中から黄金の像が現れ悪疫災難を、払ったと伝えられています。
その後、雷除けの信仰が高まったそうです。

御朱印は近くの「株式会社あさひ」で頂けます。
お忙しい中申し訳なく頂きました。

伊与久雷電神社の鳥居
伊与久雷電神社の鳥居

鳥居がいくつも連なっています。

伊与久雷電神社の狛犬

目のまん丸な狛犬

伊与久雷電神社の本殿・本堂
伊与久雷電神社の授与品その他

境内のムクロジの実が用意されてああます。

伊与久雷電神社の本殿・本堂
伊与久雷電神社の本殿・本堂

彫刻もみごと。

伊与久雷電神社の本殿・本堂

長ーい本殿までの壁

伊与久雷電神社の末社・摂社

おみこし古墳
榛名山の噴火でもたらされた角閃石安山岩でつくれている石窟の入り口。

伊与久雷電神社の末社・摂社

石窟のお掃除の様子が写真で説明されています。

伊与久雷電神社の末社・摂社

中はこんな感じ。拝殿下まで続いているそうです。

伊与久雷電神社の周辺
伊与久雷電神社の御朱印
伊与久雷電神社の授与品その他

ムクロジの実、頂きました。

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歴史

 当社は順徳天皇の健保六年(1215)3月25日に、赤石城主(伊勢崎)三浦之介義澄が創建したと伝えられる。
 上野国神名帳に「従四位上高於神明神」と記されるのが当社である。
 後醍醐天皇の元弘三年(1333)3月、新田三衛門佐義貞が鎌倉追討の際に社殿を修理し、戦勝祈願祭を行った。
 正親町天皇の永禄3年(1560)には、赤石左衛門尉・同又次郎の領有となるや領土の安全を祈り、祭供料と神領を寄進した。
 明正天皇の寛永14年(1637)、伊勢崎城河内守忠行は社殿を修復し祭米を奉り、霊元天皇の延方9年(1681)には酒井下野守忠寛が領主となるや社殿を修理した。
 また後桜町天皇の明和4年(1767)にいたり、酒井駿河守騨忠温が社殿を修復して祈雨の祭典を行った。
 このように江戸時代にあっては領主酒井家の祟敬とくに驚く、累世修理や祭米・奉幣を得てきたが、明治維新後は郷土の鎮守神として氏子の尊祟するところとなり、明治4年には村社に列せられ、同40年には境内緒末社を合祀して今日に至る。

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名称

伊与久雷電神社

読み方

いよくらいでんじんじゃ

通称

雷電神社

参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きなし
御朱印の郵送対応なし
電話番号0270-76-0575
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://iyoku-raiden.localinfo.jp/

詳細情報

ご祭神《主祭神》
 大雷命
《配祀神》
 高於加実命 
 健御名方命 
 菅原道真命
 火産霊
 保食命
 倉稲魂命 
 誉田別命
 天照大神
 櫛御気命
 岡像女命
 大物主命
 素裟鳴命
 日本武命
 最上神命
ご神体

不詳

創建時代

健保六年(1215)3月25日

創始者

三浦之介義澄

本殿

三間社流造

ご由緒

 当社は順徳天皇の健保六年(1215)3月25日に、赤石城主(伊勢崎)三浦之介義澄が創建したと伝えられる。
 上野国神名帳に「従四位上高於神明神」と記されるのが当社である。
 後醍醐天皇の元弘三年(1333)3月、新田三衛門佐義貞が鎌倉追討の際に社殿を修理し、戦勝祈願祭を行った。
 正親町天皇の永禄3年(1560)には、赤石左衛門尉・同又次郎の領有となるや領土の安全を祈り、祭供料と神領を寄進した。
 明正天皇の寛永14年(1637)、伊勢崎城河内守忠行は社殿を修復し祭米を奉り、霊元天皇の延方9年(1681)には酒井下野守忠寛が領主となるや社殿を修理した。
 また後桜町天皇の明和4年(1767)にいたり、酒井駿河守騨忠温が社殿を修復して祈雨の祭典を行った。
 このように江戸時代にあっては領主酒井家の祟敬とくに驚く、累世修理や祭米・奉幣を得てきたが、明治維新後は郷土の鎮守神として氏子の尊祟するところとなり、明治4年には村社に列せられ、同40年には境内緒末社を合祀して今日に至る。

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