浄土宗
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雷電神社から少し北にあるお寺。
あの織田信長と微妙~に関係があるお寺ということで行ってみたくなりました。
三英傑のうち猿と狸親父に纏わる寺社は関東にもいろいろありますが、うつけ者はこっちに来る前に本能寺で散っちゃったのでほとんど無い・・・( ´゚д゚)ツマラン
このお寺の開基、玉念長老が安土城下で説法していたところ、法華宗の信徒や僧が論争をふっかけ、ついには信長の裁定で浄土宗vs法華宗のレスバトルになったといういわゆる「安土宗論」(WINNER👑浄土宗)
ちなみに信長自身はマンドクセ('A`)とあまり乗り気ではなかったそうで。
宗論の内容についてWikipediaで見てみましたが・・・なるほどわからん( ´・ω・`)
たふんお釈迦様自身もなに言ってんだコイツら?( ゜д゚)ポカーンというようなことで言い争ってると思いますw
御朱印の一つは東上州三十三観音というローカル巡礼のものでした。
この東上州三十三観音、ウチから容易に行ける範囲なのですでに偶然ながらいくつか受印してるお寺もあり、順番はバラバラながら密かに結願を狙ってます。
一応納経所は全部生きてるらしい。 ただ肝心の巡礼対象の方がすでに廃寺になってしまったり住職不在で個人管理になってしまったお堂とかいくつかあるみたいで、集印よりむしろ参拝する方が難しそう(*_*)


開山 玉念上人は天正7年(1579年)に織田信長公に召され、安土浄厳院で宗論を闘わして勝利し、直々に扇を賜った高僧。開かれた当時の名は哀愍寺。広沢町後谷にあった。
○安土問答の記録「安土宗論」が当山に残され、市指定重要文化財。
○開基 堀越家は後谷に住し、本尊阿弥陀如来像も同家の寄進。5~600年を経た古仏と伝えられている。
○1580年頃、広沢から対岸の新宿村へ移転、寺名を浄運寺と改める。
○慶長年間、桐生新町づくりが始まり、北に天満宮、南に浄運寺が誘致される。
○1624年、3世角呑上人、江戸増上寺に2代将軍秀忠公の法要に随喜。この時の布施金を基に本堂を建立(99坪)。1646年鐘楼堂建立。1650年頃、5世月宮上人が3代将軍家光公の法要に随喜。布施五十貫文を基に現在の庫裡の中心部分を建つ。又この頃御朱印十一石四斗を賜はる。
○1690年頃、古河領主本多氏の帰依を受け観音堂建立。平安時代の作と伝わる聖観音像を奉安する。今も子安観音と呼ばれ親しまれている。(桐生市仏教会)
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