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夛宝院長福寺ではいただけません
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夛宝院長福寺のお参りの記録(1回目)
群馬県西桐生駅

投稿日:2019年10月19日(土)
寺伝三宝荒神縁起等によれば400年以上も前の話。比叡山の名僧法心上人が諸国行脚のうち、利根川のほとりでうたた寝をしていると夢枕に荒神様が現れ、こう告げた。「その方、いまより私を背負って行脚しなさい。そして私のとどまるところ、艱難の衆人を助け生涯安楽の恵みを与えなさい」と。目覚めると枕元に一体の荒神様があった。お告げに従って諸国を巡り、ある時桐生新宿村雷電原坊主山に立ち寄ると、荒神様はたちまち千貫の重さとなり動かなくなった。そこで、土地の者に夢話を語り、荒神様を祀ったという・・・。
 其後50数年、戦国の世が去り、桐生郷は由良氏支配地から徳川氏の支配地に変わり、桐生新町創設時に桐生中心地5丁目に新たに建立された中央山多宝院長福寺と併せて荒神様尊像も祀られました。火伏の荒神様の霊験はあらたかで、元治元年の桐生新町の大火の際、この荒神様で火がとまり、以後長福寺イコール荒神様といわれ、東日本一帯から信仰を集めた。ために付近には旅館が建ち並び、門前には商い屋などの賑わいをみせた。
 ところが、昭和30年代に入り、桐生市の都市再開発のため、道路拡張工事の必要性から、荒神様は「市民の幸せになるのなら・・・」と住み慣れた縁故の地を去る決意をされました。まさにお慈悲からの移転決意でした。移転された荒神様の3度目のお住まいは、由緒ある本堂を、そのとき調査にあたった建築家のすすめで解体移転という形をとったため、昔懐かしい姿をそのままに残し、幸いにも山紫水明静寂閑雅な現在地宮本町で、毎年冬至に護摩を焚き、また、訪れる善男善女たちに、今日も変わりない御利益を与え続けられておられます。
桐生市仏教会のホームページから転記ですが由来が詳しく載っています。桐生市仏教会は偉いです。
夛宝院長福寺の建物その他
サングラスの小僧さんがお出迎えです。
夛宝院長福寺の像
伝教大師
夛宝院長福寺の本殿

すてき

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