いしがもてんまんぐう
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石鴨天満宮について
桐生の奥深い山中に佇む天満宮
桐生総鎮守の天満宮は当社が洪水で流されたものを祀ったものという伝承が伝えられ「本家」と称する。
御朱印の存在は未確認ですが、授与品としておみくじ付きのお箸と絵馬があります。
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桐生の梅田というのは実に南北17kmくらいある広大な地区で、このうちほぼ中央にある梅田湖というダム湖より南側はそこそこ町ですが、北側は人家もまばらな限界集落。
南側にも興味を引く神社はまだまだありましたが、この日行った三宝荒神、日枝、兼宮の三社以外はまた別の神社の兼務社で、しかも本務社も一社ではなく何社かが別々に兼務してるらしい(;´Д`)
そのためリサーチ不足で南側探索は今日は断念、久々に北側にある秘境系寺社を回ってみることにしました。 最近は町場のヌルい寺社参拝ばかりだったので、少し野生の勘も取り戻さなくてはな(違w)
一番奥地から行って帰りながら回ろうと思い、まず最初に行ったのが、もうすぐそこが群馬・栃木県境で桐生よりむしろ足尾に近いこの天神様(^^;
途中出くわしたのは渓流釣りと林業の人だけという完全な山奥ですが、意外なことに授与品があります!
ただし御朱印ではなく絵馬とおみくじ付きのお箸w ・・・せめて札がありゃ自分的にはwinwinだったんだけど( ´・ω・`)
こんな秘境神社ですが意外に行ってる人が多くて、今日行った三社より紹介してるサイトが多いんですわΣ(; ゚Д゚) 世の中物好きばっかだなw(お前もだ)
なんでもこの神社近くにある「天空の里 若宮」という秘境レストランが、テレ東のよじごじDaysで取り上げられたことがあるそうでそのためかもしれません。
実はここ、翌4月25日が例祭日だったらしい!?Σ(´□`;)
逆に例祭日を当て込んで翌日行った桐生天満宮がガセネタだった・・・どうも天神様とは縁が薄い様子(^^;
もっとも桐生天満宮は常時受印できるし、ここは例祭日に来ても御朱印なさそうなのでどうでもいいけどw
実はこの神社には「我こそが桐生天満宮の本宮」という伝承が伝わってるらしく、そのため情報に混乱が見られるようです。 ちなみに桐生天満宮側にはそういった伝承は一切なくこちらだけに伝わってるらしいw
投稿するに当たり検索したところ「天満宮」という名前で事前登録はされていたのですが、住所は合っていたもののなぜか地図上の位置が大幅に狂ってて桐生の市街地近くの方になってた( ´-ω-)

市街地から一気にこんな山奥の渓流に来ました(^^;
マジで途中見かけたのは渓流釣りと林業の人だけだった・・・

しかしまぁなかなかキレイです♪

駐車場は近くに1~3台程度狭いスペースがあるだけ あまり使いたくないような公衆トイレがあります(^^;
例祭の写真を見ると結構人出があるんだけど・・・天空の里でも解放されるのかな?('_'?)

道の脇に古い石仏が点在

崖と反対の川側に一つだけ立つ仏様

鳥居

鳥居脇に山から引いてる湧水の手水舎があります

佐野家と由良・長尾家の戦いを描いた唐沢城老談記や新田老談記という講談を読むと、桐生とか大間々のこの辺りの山地には「山の民」の勢力がいたらしい
なんでも安倍宗任が都に連行されるときに着いてきた俘囚の末裔で、奥州との連絡役にこの地に留まった集団とのこと
もののけ姫のアシタカの部族を想像

鳥居横に二階建ての建物
どうも社務所か参集殿らしく、祭りの時には開放されるようです

崖に張り付くような社殿

上から社務所を見るとこんな感じ

右手の方には摂社群

やはり深山幽谷だけあって一際大きいのは大山祇大神でした

お稲荷さん
祠は銀塗りで意外に新しいように見えた

狭いスペースながらちゃんと本殿も付いてる社殿

拝殿

拝殿内
大きな幣束が見えます

こんな山奥の神社ですが授与品あり
廃材を利用した絵馬とお箸

まぁ絵馬といっても小さい印が押されてるだけで絵とかは何も描かれてない(^^;

意外に参拝客は多いようで絵馬が結構ぶら下がってました!

さすがにこの地味絵馬を持ち帰っても仕方がないので、おみくじ付きお箸の方を持ち帰りました(^^; 初穂料は200円


中吉だけどあまり内容は良くなかった(^^;
授与品
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| 名称 | 石鴨天満宮 |
|---|---|
| 読み方 | いしがもてんまんぐう |
| トイレ | 駐車場に公衆トイレがあるが荒れている |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 絵馬 | あり |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》菅原道真 《境内社》大山祇神社・稲荷神社・その他 |
|---|---|
| 創建時代 | 不詳 1590年(天正18年)以降 |
| 創始者 | 藤生紀伊守善久 藤生六右衛門 |
| ご由緒 | 太田金山城主 由良成繁の重臣 藤生紀伊守善久は、諸国遊歴の際、京都北野天満宮から神像を受けて自己の守り本尊としていた。
なお当地に伝わる伝承によると、ある年大雨で桐生川が氾濫し社殿が流されてしまい、村人達が探したところ現在の梅田町一丁目「梅原地区」で発見。 その地にも天満宮を分霊し「梅原天神」として祀り、これが後に桐生新町・赤城明神の森へ遷されたものが現在の桐生天満宮と伝わる。
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| 体験 | おみくじ絵馬武将・サムライ伝説 |
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