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首塚八幡宮 (神流川合戦首塚)ではいただけません
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くびづかはちまんぐう

首塚八幡宮 (神流川合戦首塚)
群馬県 新町駅

パーキング
駐車場
なし

なし

御朱印について
御朱印
なし
ありません

首塚八幡宮 (神流川合戦首塚)について

神流川合戦で討たれた将兵の首塚があったと伝わる。
頭痛、歯痛、脳の病気、精神病など、首から上の病いの平癒に御利益があるとされる。

群馬県のおすすめ🌸

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くし
2023年04月19日(水)
1450投稿

新町諏訪神社でちょうど4時を迎え、これでこの日の予定は一応終了したのですが・・・
実は於菊稲荷に向かう途中で【首塚八幡宮】と書かれた恐ろしい看板を見かけまして、こんな明らかにヤバそうな神社で1日を締めるのもどうかと思ったのですが、好奇心に負けて最後に行ってしまいました(^^;

調べてみたらこんな由来が・・・
天正10年、武田勝頼を破り甲斐・信濃を手中に収めた織田信長は、さらに関東支配のため滝川一益を上野に送り込みます。
しかしそのわずか3ヵ月後に本能寺の変が発生し信長横死。
主君の凶報を知り急ぎ上方に帰ろうとした一益を、上野奪還の好機と見た北条氏直・氏邦の軍が襲い、関東最大の野戦ともいわれる神流川の戦いが勃発します。
結果、一益自身は碓氷峠を越えて逃げ延びたものの、北条方の損害500に対して滝川方は2000と大敗。

ここは北条方が討ち取った滝川方将兵の首実見をおこなって埋めた所で、土地の人々が首供養のために建てた八幡社とのこと!?((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
字名もズバリ「実見塚」というそうです(゜゜;)
文字通りもとは高さ6m近くあった塚だそうなんですが、明治・大正頃に刀剣類目当ての盗掘が多発し崩されてしまったとのこと。
少し前に善光寺のおびんずる盗んだり、将門首塚から賽銭ドロしようとしたアフォがいましたが、昔からいたんですね、祟り?何それ美味しいの?みたいな畏れ知らずな輩( ´・ω・`)

少し北にはこの首塚と対になる「胴塚」もあるそうで、実はそちらに稲荷社もあるそうなんですが、この時は存在を知らず行きそびれた・・・ orz
こんな恐ろしげな神社ですが、意外にも頭痛、歯痛、脳の病気、精神病など首から上の病に絶大な御利益があるそうで、地域信仰篤く毎年例祭も行われるそうです。
ちなみに、草木も眠る丑三つ時に誰にも知られず参拝するとより霊験あらたかだとか・・・(;゚Д゚)

そんなのただの伝説だろ?ウソくせ(ーдー) と疑われる方もおられるかと思いますが、ではもう一つこんな話を・・・
ここのすぐ東隣の字堂場という地区にもかって「堂場の塚」というのがあったそうです。
明治44年、大洪水でこの辺りが水浸しになってしまい、それを埋めるために堂場の塚を切り崩したところ、なんと大量のシャレコウベが重なりあって埋もれており人々を驚かせた!💀💀💀💀💀Σ(Д゚;/)/ヒィ!
その数、首の部分だけ数百余、他に馬の大腿骨が数十体分。
骨の腐朽程度からおよそ3~400年経たもの、つまりまさに神流川合戦頃のものと推定されたそうです・・・

信じるか信じないかはあなた次第

首塚八幡宮 (神流川合戦首塚)(群馬県)

塚となってますが、実際に行ってみたところ住宅街の外れの一画が塀で囲われているだけ
当然駐車場などないので、バス停から十分離れた位置に路駐し手早く参拝

首塚八幡宮 (神流川合戦首塚)(群馬県)

不気味な場所ですが、首から上の病に霊験ありとのことで地域信仰は篤いらしく、わりと新しめの太い注連縄が巻かれてる

首塚八幡宮 (神流川合戦首塚)(群馬県)

たぶん地域の人の神事のみかと思いますが、ちゃんと例祭日もあります
行った日のわずか2週間前だったので、どんな祭りなのかちょっと見てみたかった(゜゜;)

首塚八幡宮 (神流川合戦首塚)(群馬県)

こんな所に丑三つ時に誰にも知られず参拝しろって・・・まんま肝試しやん((( ;゚Д゚)))
御利益に精神病が入ってるのもなんか生々しい・・・

首塚八幡宮 (神流川合戦首塚)(群馬県)

なぜか入口付近ではなく奥の方に立てられてる社名評

首塚八幡宮 (神流川合戦首塚)(群馬県)

祠が3つ
左の一番大きいのが八幡の社で、あとの2つは首塚の祠とのこと
右が古くからの祠で、真ん中は昭和の整備時に建立されたものらしい

首塚八幡宮 (神流川合戦首塚)(群馬県)

八幡社
祭りが直近にあったせいかも知れませんが、榊も供えられてて祭祀はちゃんとされてる様子

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首塚八幡宮 (神流川合戦首塚)の基本情報

住所群馬県高崎市新町1998-2
行き方
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名称首塚八幡宮 (神流川合戦首塚)
読み方くびづかはちまんぐう
トイレなし
御朱印なし
ホームページhttps://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013121701051/

詳細情報

ご祭神《主》八幡神・神流川合戦の死者の霊
ご神体
創建時代天正10年(1582年) 現在の社は1962年(昭和37年)に建立
創始者北条氏 昭和期の地元有志
文化財

神流川合戦首塚 (高崎市指定史跡)

ご由緒

天正10年(1582年)、主君 織田信長の本能寺の変を受け京都に上ろうとした滝川一益と、それを阻止しようとした北条氏直、氏邦の連合軍が神流川で戦う。
この神流川合戦で勝利した北条方が、討死した武士の首を検視し埋葬したため、この地を実見塚(字名)と呼ぶようになった。
明治以前までは高さ6mほどの塚があったといわれるが、明治・大正頃に刀剣類を目当てにした盗掘が多発。
塚とは名ばかりの荒れ地のようになってしまっていたのを、昭和37年(1962年)に地元有志の手により整備された。

体験武将・サムライ伝説

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