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成田山高崎分院光徳寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年06月21日(月)
参拝:2021年5月吉日
光徳寺は、群馬県高崎市にある真言宗智山派の寺院。山号は成田山。通称「高崎成田山」と呼ばれている。北関東三十六不動尊5番。
寺伝によると、安土桃山時代の1582年に創建。その後衰退するが、明治時代の1877年、地元有志が千葉の成田山新勝寺から不動明王を勧請し、不動三尊像と僧侶が入り再興した。現本堂の右側に建つ旧本堂は、高崎城三の丸にあった威徳寺の内陣を移築したもの。また現本堂の左側に建つ太子堂は、市内の大工町の職人が神社に祀っていた聖徳太子が明治の神仏分離で神社を追われたため受け入れたもの。それぞれ経緯が興味深い。
当寺は、JR高崎線・高崎駅の北西1.5kmほどの市街地・住宅地にある。境内はさほど広くはなく、建物なども少ないので、見て廻るのに時間がかからない。
今回は、<北関東三十六不動尊>の寺院として参拝することに。参拝時は週末の夕方、参拝者は自分以外には誰もいなかった。
寺伝によると、安土桃山時代の1582年に創建。その後衰退するが、明治時代の1877年、地元有志が千葉の成田山新勝寺から不動明王を勧請し、不動三尊像と僧侶が入り再興した。現本堂の右側に建つ旧本堂は、高崎城三の丸にあった威徳寺の内陣を移築したもの。また現本堂の左側に建つ太子堂は、市内の大工町の職人が神社に祀っていた聖徳太子が明治の神仏分離で神社を追われたため受け入れたもの。それぞれ経緯が興味深い。
当寺は、JR高崎線・高崎駅の北西1.5kmほどの市街地・住宅地にある。境内はさほど広くはなく、建物なども少ないので、見て廻るのに時間がかからない。
今回は、<北関東三十六不動尊>の寺院として参拝することに。参拝時は週末の夕方、参拝者は自分以外には誰もいなかった。
境内入口。左側の石碑は寺号標ではなく、<成田山 永代日護摩常夜燈>と書いてある(この左側に大きく立派な常夜燈が立っている)。寺号標は左手の離れた場所に建っている。
参道進んで左手にある<水屋>。真っ赤な塗装が印象的。
木々の間を抜け進むと真ん中に真っ赤な建物が見えてくる。両側に大木と奉納石燈籠。
<本堂>全景。2階建てで2回が本堂、1階は寺務所(住居)。
<本堂>正面。<成田山>の扁額。この奥に本尊<不動明王>を安置。
本堂前には、草花に混じって諸仏が並ぶ。
本堂の右側にある<旧本堂>。江戸時代の1709年に高崎城初代城主・大河内輝貞が高崎城三の丸に建立した旧威徳寺のものを明治時代に移築。
2階の本堂への階段下にドアがあって、そこに書置きの御朱印が置いてある。
本堂左側の<太子堂>。聖徳太子を祀る。
古くから高崎市内の大工など職人から崇敬を受けた<聖徳太子>。明治時代に高崎市内の神社から移転してきた。
境内にある<中興開山・阿闍黎宥海之碑>と<成田山 永代日護摩修行>の碑。
境内南東端にある古い建物は<下総成田山参拝申込所>。戦前は相当数の参拝希望者がいたということかな。
最後に境内南側全景。全体としてあまりお寺っぽくはない分、敷居は高くない感じ。
左側の寺号標は大きくて立派なのに、入口から離れているし、草木に隠れてあまり気付かれないのでは...(^_^;)
左側の寺号標は大きくて立派なのに、入口から離れているし、草木に隠れてあまり気付かれないのでは...(^_^;)
すてき
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惣一郎1269投稿
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