にのみやあかぎじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方二宮赤城神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年04月26日(金) 18時34分04秒
参拝:2024年4月吉日
上野国勢多郡の名神大社「赤城神社」の論社であり、同国二宮です。群馬県を中心に300の分社を持つ赤城神社の総本社の一社とされています。
赤城神社の論社には三夜沢と大洞の赤城神社が挙げられ、その論争は決着がついていませんが、社名の二宮が指す通り、一宮制によって神社の社格に順番がつけられた平安時代末期には、信仰の中心であったことが分かります。
赤城神社の論社には三夜沢と大洞の赤城神社が挙げられ、その論争は決着がついていませんが、社名の二宮が指す通り、一宮制によって神社の社格に順番がつけられた平安時代末期には、信仰の中心であったことが分かります。

《鳥居と社号碑》
明治の近代社格制度では郷社に列格しています。昭和期には二宮、三夜沢、大洞の赤城神社をまとめて国幣中社にする動きもあったそうですが、終戦によって叶いませんでした。
明治の近代社格制度では郷社に列格しています。昭和期には二宮、三夜沢、大洞の赤城神社をまとめて国幣中社にする動きもあったそうですが、終戦によって叶いませんでした。

《鐘楼》
鐘は市指定重要文化財に指定されています。
鐘は市指定重要文化財に指定されています。

《手水舎》
花手水となっています。
花手水となっています。

《由緒書き》
三夜沢の赤城神社とは里宮、山宮の関係にあり、神幸祭には御神体が遷幸します。
三夜沢の赤城神社とは里宮、山宮の関係にあり、神幸祭には御神体が遷幸します。

《随身門》

《授与所》
御朱印いただきました。
御朱印いただきました。

《拝殿》
五七桐紋があしらわれています。
五七桐紋があしらわれています。

《扁額》🙏
👁チェックポイント‼️
当社は戦国時代になると後北条氏によって破却されて衰退してしまい、その際に神仏習合の影響もあって三夜沢の赤城神社に信仰と御神体が移ったとされています。その後に再興され当社はその管理下に入ります。これが具体的に山宮・里宮の関係となった由来とされています。そのため、幕末に大洞と三夜沢が本宮として争点となった時に当社が挙げられなかったと思われます。
👁チェックポイント‼️
当社は戦国時代になると後北条氏によって破却されて衰退してしまい、その際に神仏習合の影響もあって三夜沢の赤城神社に信仰と御神体が移ったとされています。その後に再興され当社はその管理下に入ります。これが具体的に山宮・里宮の関係となった由来とされています。そのため、幕末に大洞と三夜沢が本宮として争点となった時に当社が挙げられなかったと思われます。

《本殿》
流造です。
流造です。

《重要文化財一覧》
ただ史跡や文化財は三社の中で一番多く所有しています。
ただ史跡や文化財は三社の中で一番多く所有しています。

《日枝神社》

《神輿殿》
元々は神仏習合時代に十二天を祀っていました。
元々は神仏習合時代に十二天を祀っていました。

《天満宮》

《宝塔》
市指定重要文化財です。
市指定重要文化財です。

《神楽殿と舞台》
太太神楽を奉納する際に使われます。
太太神楽を奉納する際に使われます。
すてき
投稿者のプロフィール

神祇伯1693投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(9/7更新) 御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。









