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こうずけそうじゃじんじゃ

上野総社神社の御由緒・歴史
群馬県 新前橋駅

ご祭神《御祭神》 經津主命,磐筒男命,磐筒女命,宇迦御魂命,須佐之男命
《相殿》正一位(抜鉾大明神,赤城大明神,伊香保大明神,岩根大明神,若伊香保大明神,榛名大明神,小祝大明神),従一位(火雷大明神,倭文大明神,浅間大明神)
《配》 上野国内五四九社(碓氷郡十五社,片岡郡十四社,甘楽郡三十二社,多胡郡二十五社,緑埜郡十七社,那波郡十八社,群馬郡東部百四十五社,仝西郡百六十九社,吾妻郡十三社,利根郡二十一社,勢多郡二十三社,佐位郡十二社,新田郡十五社,山田郡十二社,邑楽郡十五社)
ご神体上野国神名帳
創建時代人皇第十代崇神天皇の御代四十八年(紀元前五十年)
創始者豊城入彦命
ご由緒

社伝によると、人皇第十代崇神天皇の皇子・豊城入彦命が軍神として『経津主命』を祀ったことに始まるという。その後、親神である『磐筒男命』・『磐筒女命』が合祀された。
人皇第二十七代安閑天皇の時には、上毛野小熊王が社殿を改築して「蒼海明神」と称した。
人皇第五十六代清和天皇の頃、上野国549社を合祀し「総社明神」と称した。この時、国司より奉献された勅額には「正一位護国霊験惣社大明神」と記されていた。
当地に移る以前は、蒼海城内の宮ノ辺の地(現・宮鍋神社)にあったという。

また、長享2年(1488年)に万里集九が当社を訪れて記述を残しているほか、永禄9年(1566年)に兵火で焼失、元亀年間(1570年-1573年)に現在地に再建されたという。
近世には朱印26石が与えられた。

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